自分を諦めないで神さまが導いてくださる方向を向いて希望を持つことができますように。
子どものなりたい職業は夢の宝庫で、その可能性は無限大ですが、それが全て実現するとは限りません。むしろ、大人になるにつれて自分の可能性に限界を感じて、現実的なところに選択肢を絞っていくことの方が多いでしょう。しかし、大人になって現実的に物事を考えるようになったとしても、8節でイエス・キリストが「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」と語るように、私たちの生まれや過去のいきさつは置いといて、なお可能性は無限にあります。
子どもの頃と可能性の中身が変化するだけです。自分に見切りをつけてしまうのではなく、神さまが必ず私に良い生き方を示してくださることに信頼し希望を持つことができたら、道は開かれます。
聖書の「悔い改める」という言葉は、直訳すると「向き直る」という意味です。神の方向から外れて別の方向を向いてしまっているのが罪です。罪は「的外れ」という意味の言葉が使われています。的外れの状態から向き直って神の方向を向くことが「悔い改める」ということです。私たちの生き方は時に様々な方向に迷ってしまいますが、神の言葉を聴いて向き直って神が導いてくださる方向に戻っていきます。