教会のもっとも小さな姿、もっとも大切なことを学ぼう。
福音書の中で「教会」という言葉が出て来るのはマタイによる福音書だけです(三ヵ所)。しかも三つの中の二つが18:17に記されているのですから、ここはとても重要なところです。ただ、イエス様が活動されている時にすでに、今の私たちが連想するような教会があったわけではありません。整えられた今の教会を川に譬えるならば、川の源流と言えるようなもっとも小さな教会の姿を表しているのがこの箇所です。実に素朴な教会の姿です。しかしそこに教会のもっとも大切な姿が表現されているのです。
なお、18:15~17には教会内の「兄弟への忠告」について記されてありますが、そこも説教作成に含めると説教が散漫になる恐れがありますので、敢えて18:20に絞って作成することが許されることでしょう。
「教会」と訳されている言葉はエクレシア(ギリシャ語で)です。それは「呼び集められた人々」という意味を持っているようです。「教会」という言葉からは、どうしても「教える会」(あるいは「学ぶところ」)というイメージが拭えませんが、本来はそうではないのです。そう言われれば、教会を造り出した弟子たちも、イエス様に「私に従って来なさい」と呼ばれて、その招きに応えて集められた人々でした。