・イエスもまた、洗礼を受けられた。その意味と役割を、子どもたちと一緒に考えてみましょう。
・イエスは、罪の赦しを必要としないにも拘らず、受けられたのは、神の子としての無原罪としての高さを固守することなく、罪人である私たち人間の救いのために、私たちの高さまで降りてこられたということです。イエスの公生涯の宣教開始に際して、一番最初にイエスご自身の洗礼記事が記されています。
・ヨハネの役割 当時、洗礼者ヨハネがメシアと思われていましたが、彼はイエスの道ぞなえとして、イエスを迎える準備とその役割を果たしました。
・洗礼は、水を通して、悔い改め、罪の赦しを得て、新たに生まれ変わるものです。神の子イエス、メシア(救い主)イエス、罪も汚れもないイエス、そのイエスがなぜ、洗礼を受けねばならないのでしょうか?
・天が開け、聖霊がイエスに降り、「わたしの愛する子」という声が聞こえた。この「天が開け」というのは、神がこの人間世界に介入してくることを表す表現です(イザヤ63章19節参照)。また、「聖霊が鳩のように」は、「鳩」が翼をひろげて舞い降りる様は、聖霊に覆われ、イエスは神の子としてあることを表しています。
・「あなたはわたしの愛する子」この言葉は、イエスのみならず、私たちすべてに向けて語られている言葉です。わたしたち自身の洗礼はそのことを意味しています。
・「聖霊と火で洗礼を・・・」(8節)の「霊」は、ギリシア語では「プネウマpneuma」と言い、これは「風」「息」を意味する言葉です。「聖霊と火による洗礼」とは本来、「風(プネウマ)に飛ばされ、火で焼かれるもみ殻(がら)」をイメージしたものだったようです。