水がぶどう酒に変わるという出来事を、どのように理解することができるかということです。ここには、あまりにも大きな飛躍があります。
・婚宴の場で欠くことのできない一つに、ぶどう酒があります。ですから、宴会の只中で、ぶどう酒がなくなる、足りないということは、とても考え辛い出来事です。しかし、それがカナの婚宴で起こったのです。
・「ぶどう酒がなくなりました。」は、「救いがなくなりました」と言い代えてもよいほどの意味を持っていました。私たちにとって、ぶどう酒とは何でしょうか。水をお酒に変えるという大きな飛躍を、私たちはどのように受け止めることができるでしょうか。これは信仰による以外にはないのでしょう。
・ヨハネ福音書では、見ないで信じることの大切さを伝えています。
・イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい。」と言われた水がぶどう酒に変わったしるしを見て、弟子たちは信じたとあります。ヨハネ福音書で最初のしるしです。このしるしを、どのように理解し、受けとめるかにあります。
マタイ、マルコ、ルカ福音書では、イエスの奇跡と呼ばれる行為が、ヨハネ福音書では「しるし」として表現されています。