イエスさまがすべての人の苦しみや悲しみに寄り添い、救ってくださるお方であることを伝える。
テキストには二人の女性が登場し、分量的にもボリュームのある箇所である。二人の女性がイエスによって癒やされたことを簡潔に話すのは容易なことではないが、だからと言ってどちらかの物語を省略するのもためらわれる。なぜなら、イエスは悩み苦しむすべての人に耳を傾け、救いを与えてくださるお方であるのだから。
会堂長の娘が12歳なら、長血を患った女性も12年間の闘病生活を余儀なくされたという12年の一致は、単なる偶然ではないだろう。聖書において、12は完全数。12歳という若さで娘を失った父親にしても、また12年間にもわたって病を得た婦人にしても、その苦しみと悲しみが十分すぎるほどのものであったと言うことだろうか。
イエスが婦人に語りかけた「あなたの信仰があなたを救った」という言葉は、信仰によってのみ人は救われ、義とされるという福音そのものである。
一方イエスが幼い娘に言われた「タリタ、クム」という言葉は、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」と言う意味のアラム語(イエスの母国語)。呪文の類ではなく、死から復活されたイエス自身の言葉であることを覚えたい。
「会堂長」とは、ユダヤの会堂で行われる礼拝の司会をしたり、人々に律法を教えたり、裁判を行う権限を持った人。人々から信頼されている者が、この仕事を託された。
「出血の止まらない女」とは、婦人科特有の病気を患っていたと考えられる。そのような病にかかった女性に対して、律法は厳しい見解を示していた。それによって、女性は身体的な病の苦しみだけでなく、社会的にも、宗教的にも疎外される苦しみを負わされた。