子どもたちにはなかなかイメージのしづらい譬え話ですので、この譬え話の説明に集中することはあまり好ましいとは言えないでしょう。特に、「愚かなおとめ」と「賢いおとめ」については間違ったイメージ(例えば、何らかの行いで差別的に捉えてしまうことなど)を植えつけてしまわないように注意が必要だと思います。
この譬え話は「終末遅延」の譬え話の一つだと考えられています。初期の教会にとっての最大とも言える課題は、この「終末遅延」の問題だ、と考えられています。なぜならば、目標を見失いがちになってしまうからです。終末、つまりキリストの再臨は救いの完成の時でもありますので、その時を身近に感じている間は熱心に信仰生活が送れたり、あるいは迫害等の苦しみに耐えられても(すぐにでも救いがやってくると思っているわけですから)、それがいつ来るか分からない(本当に来るのかさえも分からない)となると当然気持ちも緩んでしまうからです。それが、課題だった訳です。しかし、そのことを子どもたちに伝えることは難しいと思います。