神の権威とは、どこか高いところにあるのではなく、もっとも「低い」ところにあります。もっとも「低き」ところから私たちを支えて下さっているのが、神の権威です。その神の国の力を私たちの目にはっきりと示してくださったのがイエス・キリストその方です。
祭司長たちは、神殿で神さまに奉仕する祭司たちの中から、しかるべき手続きによって選ばれました。律法学者は、しかるべき教育を受けた人々です。長老たちは、社会的地位と財力があり、これもまたしかるべき手続きによって選ばれた人たちです。
「では、イエスは?」誰からも与えられていないじゃないか‥‥彼らはそう言いたいのでしょう。こうして彼らは、イエスさまのお話を聞いている民衆に対して、イエスさまの権威を失墜させようとしたものと思われます。
・「権威」という言葉のギリシャ語は、権限、権利、支配力というような意味があります。
・祭司長は、旧約聖書の律法に基づいて神殿の管理を託されているという権威を持っています。律法学者は、しかるべき教育を受けて聖書の律法を解釈し、人々に教える権威を持っています。そして長老は、おもに議会の議員を指すと思われますが、そのような民の指導者としての権威を持っています。彼らからすれば、イエスには何の権威があるのか?何も無いじゃないか?‥‥と言いたいのでしょう。実際イエスさまは、人々が慕っているけれども、さすらいの一般庶民でしかありません。何かの資格を人から与えられたわけでもないし、人から権限を与えられたわけでもありません。