いつもイエスが、あなたと一緒におられる。挫けそうになる時には支え、背負ってくださる。イエスが側に居る、という安心を受け取る。
マーガレット・F・パワーズという人の、「あしあと(Footprints)」という詩
「ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
『主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。』
主は、ささやかれた。
『わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。』」
「軛(くびき)」…踏み固められた土は固い。トラクターの無い時代には、牛二頭に土を掘り起こす機材を引かせていた。二頭が違う方向に進まないように、首と首を繋ぐ木材を軛と呼ぶ。
ビニール袋を二人で持つと分かるように、二人ならば普段は持てない重い物も運ぶことができる。また、持つ場所が高い方が重いように、片方が疲れても、もう一方が重さを引き受けることができる。
イエスは、自由に生きる私たちと軛で繋がっていてくださる。あなたが傷つき、動けない時、その身を背負い、守ってくださる方が居る。失敗しても、道を間違えてもイエスはそこにおられる。
(軛の写真はウィキペディアなどで調べてみてください)