・弟子たちが聖霊を与えられたのは罪の赦しを伝えるためである。使徒言行録に記される聖霊降臨の出来事と重ねながら、赦された者として赦しを伝える者になっていきたい。
・聖霊を受けてイエスの弟子として派遣されていくというのは、第一日課の使徒言行録2.1以下に記される出来事と同じである。ここでは弟子たちはイエスから聖霊を受けている。実際に聖霊を受けて弟子たちが遣わされていくのは、使徒言行録の聖霊降臨の時であるが、この時もイエスは弟子たちに聖霊を、そして使命を与えられたのである。
・「平和があるように」(19)は挨拶の言葉だが、繰り返して言われていることからも、単に挨拶としてではなく、弟子たちの心に平和(平安)が必要であったからであろう。イエスは十字架にかかられる前に「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」(ヨハネ14.27)と約束された。
・「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(23)、これは弟子たちに赦すか赦さないかを決めることができるということではなく、神の赦しを伝える務めが弟子たちに与えられたということであり、弟子たちがその務めを怠れば赦しは伝えられなくなってしまうということだと考えるべきであろう。