・ヨセフがマリアを受け入れるには葛藤があった。その葛藤の中で、神さまがヨセフとマリアに道を開いてくださったこと、そこから救いの歴史を作ろうとしてくださったことを知る。
・聖句は旧約聖書イザヤ書7章14節からの引用。「おとめ」は処女というより「未婚の若い女性」という程の意味ととらえてよい。神さまは私たちの常識を超えた形で、わたしたちに恵みを与えられる。
・当時、結婚前に身ごもることは大変に非常識なことであり、シングルマザーや結婚前にこどもができた夫婦に対する社会の風当たりは厳しかった。ヨセフは最初、マリアとの縁を切ろうとしたが、それはヨセフにとって、マリアを石打の刑にさせないための苦肉の策であった。人の目から見れば、マリアの妊娠はヨセフに対する裏切りである。
・神のお告げによって、ヨセフはマリアを受け入れることを決意する。マリアを受け入れることはヨセフにとってもマリアにとっても、茨の道を歩むことだったはずである。しかし、ヨセフが、(おそらく疑いや不安を抱えながらも)、いのちに対する愛と、わたしたちの思いを超えて働いてくださる神への信頼をもってマリアと子を受け入れることを決意したとき、旧約聖書の救いの約束が実現した。
・当時、婚約・結婚をしていながら他の男性と関係を持った女性は、人々の間に引き出され、石を投げられ撃ち殺されなければならなかった。妊娠がまだ知られていないうちにこっそり離縁をし、マリアがどこかよそのところに行けば、シングルマザーとしての苦労はあるだろうが、死に値する罪には問われないのである。
・夢は、自分でコントロールすることが難しいところから、神が見せてくださるもの、神から人へのダイレクトな働きかけだと考えられていた。ここでのヨセフへのメッセージが「夢」であったことは、葛藤するヨセフに、人の思いを超えたところから、神が打開の道を開いてくださったことを意味する。