・洗礼者ヨハネが処刑を待つ獄中から、イエスに使者を送る場面である。ヨハネはこのときイエスが本当に救い主であるのかどうか、自分のそれまでの活動が正しかったのかどうか、不安になっていたものと思われる。
・そのヨハネにイエスが告げたのは、イエスが来たことによってハンディキャップを持つ人や貧しい人が苦しみから解放されている、ということであった。イエスが救い主であるとされるのは、不思議なお生まれによるのではなく、貧しい人や苦しむ人たちと寄り添われ、いのちをささげられた、その生涯の歩みによる。クリスマスの明るいところ、楽しいところだけではなく、イエスがこの世に来られた意味を考えていきたい。
・「目の見えない人が見え、足の不自由な人は歩き…」旧約聖書の預言の中で、救い主が来られる時にはこのようなことが起こる、と記されている(イザヤ書35章5節など)。聖書の中で見るかぎり、イエス以前に見えない人の目を開いた人はいなかったという。イエスが目が見えない人の目を開かれたことは、イエスによって神の約束である救いが確かにわたしたちのところにやってきた、というしるしである。