・イエスがこの世に来られた意味について、考える。
・洗礼者ヨハネが処刑を待つ獄中から、イエスに使者を送る場面である。ヨハネはこのときイエスが本当に救い主であるのかどうか、自分のそれまでの活動が正しかったのかどうか、不安になっていたものと思われる。
・そのヨハネにイエスが告げたのは、イエスが来たことによってハンディキャップを持つ人や貧しい人が苦しみから解放されている、ということであった。イエスが救い主であるとされるのは、不思議なお生まれによるのではなく、貧しい人や苦しむ人たちと寄り添われ、いのちをささげられた、その生涯の歩みによる。クリスマスの明るいところ、楽しいところだけではなく、イエスがこの世に来られた意味を考えていきたい。
・「目の見えない人が見え、足の不自由な人は歩き…」旧約聖書の預言の中で、救い主が来られる時にはこのようなことが起こる、と記されている(イザヤ書35章5節など)。聖書の中で見るかぎり、イエス以前に見えない人の目を開いた人はいなかったという。イエスが目が見えない人の目を開かれたことは、イエスによって神の約束である救いが確かにわたしたちのところにやってきた、というしるしである。
今からもう十年以上前、みんなが生まれるずっと前のことですが、こんな歌が流行ったことがありました。「誰も端っこで泣かないようにと 君は世界を丸くしたんだろう」(RADWIMPS「有心論」…タイトルは「有神論」のもじり)。地球は丸いですね。丸いので、端っこはありません。わたしはひとりぼっちだ、誰も気づいてくれない隅っこにいる、と思っても、でも神さまから見たら、あなたは端っこではなくて、この丸い世界の真ん中にいるのです。わたしたちが寂しい思いをしないように、誰かが誰かのおとなりになれるように、神さまは世界をまあるく作ってくださったんだよ、というような歌です。
このお歌のことを思い出すたびに、「クリスマスみたいな歌だなあ」と思います。イエス様は、王様の宮殿にお生まれになりませんでした。イエス様は、お金持ちの立派なお屋敷にお生まれになりませんでした。マリアさんとヨセフさんは、偉くもお金持ちでもなく、その時代はごく普通の、貧しいおうちの人でした。そしてみんなが知っているとおり、マリアさんたちはイエス様がお生まれになるときに泊まる場所がなかったので、イエス様は貧しい馬小屋(動物小屋)でお生まれになりました。神さまのお子さまが、世界の隅っこの、寂しいところでお生まれになったのです。
そして、イエス様がお生まれになったときに最初にお祝いに来たのは、羊飼いさんたちでしたね。羊飼いさんたちも、その時代の、貧しい人たちでした。羊飼いさんたちはイエス様が生まれた時には、野宿といって、一晩じゅう外で、羊のお世話をしていました。みんなが暖かいおうちの中で眠っているときに、羊飼いさんたちは暗くて寂しいことも多い外で働いていたのです。でも、だからこそ羊飼いさんたちは、イエス様にお会いすることができました。イエス様は、羊飼いさんたちのような寂しい思いをしている人、貧しい人、たいへんな思いをしている人たちのために、世界のいちばん寂しいところで生まれて下さったのです。
神さまがそんなふうにイエス様を生まれさせてくださったのは、神さまがこの世の中で弱い立場の人、貧しい人、寂しい思いをしている人たちのことを大切にしてくださっているからでした。わたしたちが寂しい思いをしているときに、そのことを思い出してください。また、誰かお友達が寂しい思いをしているときに、「神さまはあなたのことを大切に思っているよ」って、伝えてあげられたらいいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□4番 「けさも わたしの」
□改訂121番 「ひかりのこになるため」
贈り物を作ろう
・教会や家に飾るオーナメントを作る。
・ジンジャークッキーを作る。
作ったクッキーは、教会や家に飾ったり家族や友達に配ってもよい。
・クリスマス礼拝のポスターを自分達で作ってみる。
・讃美歌を練習して歌の贈り物をする。
この日の聖書箇所が該当する讃美歌は、讃美歌21 173番
・イエス様がこの世に来てくださった意味について、考えてみましょう。