・敵対者との論争におけるイエス様の力に目を留める。
・神さまのまなざしが誰に向かっているのかを知る。
・片手の萎えた人がいた-実際は「萎えた(枯れた)手を持つ人がいた」
・イエス様が隠れてこの人を癒せば論争にならなかったが、イエス様はこの人を「真ん中に立たせて」癒しをされた。それはこの人が神さまの愛される一人であることを周りの人々に伝える行為でもある。良きわざは明らかにされたところで行われることもまた大事である。
・安息日の律法に関しては申命記5章に書かれている。またサムエル記上21章にはダビデが規則を破って祭壇に献げられたパンをもらって食べたことが記されている。