・譬えによる教えがイエス様に傾聴する者の間に分裂をもたらせるものであることを知り、その上に誰に従うかが問われる。
・分裂した家は立ちゆかないが、イエス様は神さまの意志を行う者から成る新しい家族を構成することができる、より力ある方である。
・マルコによる福音書の譬えは「謎めいた言葉」と「より長い物語的な譬え」とから成っている。イエス様はこの両方を効果的に用いてご自分の宣教を語られる。
ベルゼブル-バアル・ゼブブ(列王紀下1章)「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味の名で呼ばれていた。
綺麗なまん丸の円の書き方、分かるでしょうか。フリーハンドで自分で描こうとすると難しいですね。コンパスという道具を使うと上手に書けます。どうしてでしょう。中心が一つであり、それがずれないから綺麗なまん丸な丸が書けます。それでは、中心と言いますか焦点が二つある時にはどうなるでしょうか。まん丸な円は書けるでしょうか。その円はどんなにがんばっても楕円になってしまいます。綺麗なまん丸な円を書くときには中心になるものを一つにしてしっかりそこに立たなければなりません。
今日のイエス様のお話は真ん中になるものは何かと言うことでしょう。イエス様に敵対する人たちはイエス様のことを「ベルゼブルに取り付かれている」とみなし、群衆に悪い噂を流します。ベルゼブルとは悪魔のリーダーの名前です。ナザレのイエスは悪魔に取り付かれているから当時の心の病に苦しんでいた人々を救うことができるんだと理解しようとしたのです。もちろん、イエス様はご自分の働きが悪魔の力によるものではないことを伝え、悩み苦しむ人を助けるためにご自分が働かれていることを伝えます。ベルゼブル、悪魔のリーダーの名前には意味があります。「家の主人」という意味です。イエス様はご自分の中心が神さまであるとずっと言っていました。イエス様という家の主人は神さまなのでベルゼブルが家の主人にはなれないのです。もし、家に主人が二人いたらそこにはどちらが上かを巡って争いが起きます。わたしたちも気をつけなければなりません。自分の真ん中になるものを二つにしようとしたら綺麗な円は書けませんし、自分の中で戦いが起こってしまいます。だから中心を一つに、神さまにすることが大事です。
神さまを中心にする時、今までの円以上に綺麗な円を描くことができます。新しい円です。中心をぶれさせないようにしながら、良き道を歩みましょう。