・イエスによる約束は旧約に記される栄光の主であると同時に、受難の主でもあることを覚える。
・自分たちの理想形だけを追い求めない。本質は一体何を示そうとしているかに目を向ける。
・目先の喜びに気持ちを高揚させるのではなく、何のために自分たちの目の前で喜びが顕されたのかを考える
・モーセ・エリヤ・主の変容は旧約の成就と同時に、受難に対しての話し合いもなされている。つまり、十字架によって救いが成就する事が確かめられている。それは聖句によって語られる。
・キリストの栄光の前にモーセやエリヤは消えてゆく者です。それは律法と預言の本体が現れたからです。キリストは政治的な解放者ではなく、罪からの解放者として来ました。キリストに従う者もキリストの言葉に従い、自分の罪と戦い、神中心に生きることを学ばなければならない。
・この箇所はペトロの告白と最初の受難予告から六日の後の出来事である。
・聖書ではイエスが神の子であることを知らされている(ヨハネからの洗礼時に告知)が、ここにきて受難予告の直後に再び知らされている。
・そこに礼拝するべき方が留まってくださる場所として仮小屋が用意される。