2018年2月11日 変容主日
マルコ9:2-9 列王記下2:1-12a Ⅱコリント3:12-18

今週の聖句

これはわたしの愛する子。これに聞け
マルコによる福音書9章7節

ねらい

・イエスによる約束は旧約に記される栄光の主であると同時に、受難の主でもあることを覚える。

・自分たちの理想形だけを追い求めない。本質は一体何を示そうとしているかに目を向ける。

説教作成のヒント

・目先の喜びに気持ちを高揚させるのではなく、何のために自分たちの目の前で喜びが顕されたのかを考える

・モーセ・エリヤ・主の変容は旧約の成就と同時に、受難に対しての話し合いもなされている。つまり、十字架によって救いが成就する事が確かめられている。それは聖句によって語られる。

・キリストの栄光の前にモーセやエリヤは消えてゆく者です。それは律法と預言の本体が現れたからです。キリストは政治的な解放者ではなく、罪からの解放者として来ました。キリストに従う者もキリストの言葉に従い、自分の罪と戦い、神中心に生きることを学ばなければならない。

豆知識

・この箇所はペトロの告白と最初の受難予告から六日の後の出来事である。

・聖書ではイエスが神の子であることを知らされている(ヨハネからの洗礼時に告知)が、ここにきて受難予告の直後に再び知らされている。

・そこに礼拝するべき方が留まってくださる場所として仮小屋が用意される。

説教

皆さんは自分が予想通りの出来事が目の前にあったなら、どう感じるでしょうか。悪い予想ではなくて、良いこと、嬉しい事、楽しいことが予想通りだったら、飛び上がるほど嬉しく楽しいのではないでしょうか。自分の思った通りのことが起きると、そのことがずっと続いて欲しいなぁと考えたりもします。でも、喜ぶ出来事が起こる前に、「悲しく、辛く、寂しい出来事があるよ」と聞いていたら、素直に喜べるでしょうか。やっぱり楽しい出来事が目の前で起きたなら、想像だけの悲しく辛いことは忘れてしまうかもしれませんね。

今日の聖書では、イエス様の衣服が白く輝いてこの世のものとは思えない白さだったと書いています。この書き方はユダヤの人にとって「天使の衣」を想像させる書き方です。「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」のですが、モーセとエリヤは旧約聖書に出てくる大人物です。ユダヤ教ではこの二人が現れる時、終末・世の終わりの日に再び来ることを信じていたので、イエス様と語る二人の登場は、神の国の実現のしるしなのです。お弟子さんは、イエス様がモーセとエリヤの二人と話しているのを見て、世の終わりが現実だと思ったのです。しかもイエス様の姿は真っ白く輝いて、この世の者ではない存在にも見えました。思わず嬉しくなって「仮小屋」を建てたいと言い出しました。イエス様とモーセとエリヤの三人をいつでも礼拝できるように、いつでも拝見することができるようにとの思いを持ったのでしょう。私たちも同じようなことを考えませんか?素晴らしいものを見ることができたら、いつでも見られる様にしたいと考えて、消えないようにと考えませんか?今の時代なら、携帯電話やデジタルカメラに記録して、何度でも見たいと思うかもしれませんね。でも、「これはわたしの愛する子。これに聞け。」と神様の声がしました。私たちの考えで行動するのではなく、イエス様の言葉に従いなさいと教えられます。イエス様は山を降りてから十字架に架けられる道を歩みます。避けては通れない道です。イエス様が救い主となられるために必要な道なのです。イエス様の救いは輝かしい場面だけではなく、苦しくて辛い場面も含まれます。神様からの声は、「目の前の楽しいこと以外もあるけれども、どんな時でもイエス様と一緒に歩きなさい」といわれています。どんな時もイエス様を信じて歩めるようにお祈りしましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□36番 「しゅイエスのみちを」

□改訂120番 「主イェスの道を」

やってみよう

☆文字合わせゲームを作ろう。

用意するもの・・・紙コップ9個、紙コップの飲み口に合わせた丸い紙9枚、サインペン等

・用意した丸い紙一枚一枚にと書く。

・飲み口に合わせてはめる。

・文字を見えないように紙コップを置き、「わたしのあいするこ」となるように並べる。

はなしてみよう

・大切なものを取っておきたい気持ちを持つことは良いのでしょうか?それとも持たないほうが良いのでしょうか?日常の中で時間の経過とともに変化するものもあるので、考えてみましょう。

・私たちはイエス様の救いを覚える時、十字架の上で死なれたことを思い出しているでしょうか。今日の弟子たちのように、良い部分だけに目がいっていないか考えて分かち合いましょう。