机の下に奇麗な紙を敷いてちぎったパンを子供の数ほど置いて置く。
1、みんな犬になって机の下で手を使わないでパンを食べてみましょう。
2、こんどは机の廻りに椅子を置いてきちんと座りましょう。
3、一人一人の前にパンの入ったお皿を置いてみんなでいただきましょう。
みんなどっちの食べ方が美味しいと思った?
机の下で食べるのもちょっと面白いけど、毎日この食べ方だったらどう?
今日はわざわざパンを机の下に置いたけど、もし誰かが食べてこぼしたパンだったらどう?たべたいと思う?
パンは目に見えるけど、今日出て来たカナンの女の人が欲しかったのはパンじゃなく、子供の病気を治して欲しかったのです。目に見えないイエスさまの力、恵み、愛、が欲しかったのです。でもイエスさまはカナンの女の人がイスラエルの人じゃないから「イスラエルの人=子供、のパンをとってカナンの人、外国の人=子犬、にあげるのはよくない。と言っておられます。
女の人はなんて言った?聖書をみると「しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」今誰か、机の下にこぼれたパンは食べたくない、って言ったね。このカナンの女の人はこぼれたものでも良いから、子供がこぼしたお恵みでも良いから下さい。とお願いしました。なんとかして病気の子供を治して欲しいと言う気持ち、そしてイエスさまなら治して下さると、イエスさまのお力を信じて言ったのです。28節をみんなで読んでみましょう。
・祈りと願いは、近い関係にあるだろう。それぞれの祈りも、願いも、小さな紙に書き出してみるのはどうだろうか。もちろん、本音は書けないかもしれない。しかし、それは、承知することとして、書き出した紙の中で、出てくるのは、願いや希望かもしれないが、みんなで、祈りだとか願いだとか、希望というものについて、共有し、話し合い、気づく手掛かりにできるだろう。信仰は、神さまと関係していることを気づきたい。