2014年9月7日 聖霊降臨後第13主日
マタイ15:21-28 イザヤ56:1-8 ローマ11:25-36

今週の聖句

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
マタイによる福音書15章28節

ねらい

・イエスさまが評価した「信仰」とはなんだろうか?子どもたちと一緒に考えてみたい。注意したいのは、「熱心さ」を信仰と理解しがちだが、そうではなく、何もないところに、信仰が与えられる理解をもって臨みたい。さもないと、信仰も、「熱心」という行いで勝ち取るものとなってしまうことに注意したい。

説教作成のヒント

・「神さま」は、誰に対しても、分け隔てなく「救い」を求める者に、「救い」を与えるという理解をもって、この女はイエスさまに接していく。「救い」だけをイエスさまに願って。

豆知識

・「立派」とは、「偉大だ」とか、「ほんものだ」とかいった意味だろう。神(主体)が、その信仰を義と認めたことを心に留めたい。

説教

カナンの女はイエスさまに自分の娘を生かしてくださいと言って、こう言いました。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」心に苦しみを持つ娘をその母親は、切に癒されるのを願いました。このカナンの女がどのくらい心の底からだったのかを知る手がかりは、聖書には「叫んだ」と記されています。

弟子たちはカナンの女の訴えを退けようとします。弟子たちはイエスさまに「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」といいました。イエスさまもこのように拒絶の言葉をおっしゃいました。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と。カナンの女はイエスさまに期待をかけていたので、その失望は大きなものだったのでしょう。しかしカナンの女はイエスさまにまた訴えます。「主よ、どうかお助けください。」

カナンの女はこのように切実な心で頼りました。しかしイエスさまは彼女の心を踏み付けるようにおっしゃいました。この女をほかでもない「小犬」にたとえておっしゃったのです。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない。」

しかし、カナンの女はイエスさまのこの言葉にも動じませんでした。かえって機転を働かせて答えます。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」彼女のこの答えは「主が与えてくださる祝福は大きくて多いから、失われた羊を祝福しても十分残っている」と考えているのです。

私たちに、辛い事や、苦しみにあいます。その時ごとに私たちは、お祈りします。しかしそのお祈りに対する応答がないと感じられる時が多いです。この瞬間が、カナンの女がイエスさまの受け入れない言葉に向き合った瞬間だったのです。イエスさまの侮辱的ともとれる言葉に「娘を助けてください」と言う訴えをやめて帰ってしまいたかった瞬間です。

でも、イエスさまは断る方ではありません。聖書のどこにも、イエスさまがご自分の民のお祈りを断わったという言葉はありません。そして私たちのお祈りに決して沈黙なさいません。イエスさまは「時」を待っていらっしゃるのです。そして私たちの信仰を待っていらっしゃるのです。私たちがイエスさまを心から本当に信じたら、子犬にたとえられたイエスさまの言葉は、もはや侮辱ではありません。それは私たちを信仰に導くためのみ言葉です。

神さまはすべてのものをご存知です。私たちの苦しい心、恨めしい心まで。しかし時を待っている方です。それは私たちの信仰の時です。その時まで私たちの痛みと苦しみが深くなることもありえます。しかし神さまはその「神さまの時」、「信仰の時」になればすべてのことを聞いてくださいます。そしてその時、私たちがいただくようになる恵みは何ものにも代えることができない大きい恵みです。

カナンの女が神さまの恵みを受けることができたのはまさにこのためです。彼女はお祈りを中断しなかったのです。信仰を持ってイエスさまの前に立ち向かったのです。イエスさまはこのような信仰を喜ばれます。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」

皆さん、私たちもこのカナンの女がいただいた恵みを、共に受けられますようにお祈りしましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□120番 「どんなときでも」

□改訂129番 「どんな時でも」

やってみよう

机の下に奇麗な紙を敷いてちぎったパンを子供の数ほど置いて置く。

1、みんな犬になって机の下で手を使わないでパンを食べてみましょう。

2、こんどは机の廻りに椅子を置いてきちんと座りましょう。

3、一人一人の前にパンの入ったお皿を置いてみんなでいただきましょう。

みんなどっちの食べ方が美味しいと思った?

机の下で食べるのもちょっと面白いけど、毎日この食べ方だったらどう?

今日はわざわざパンを机の下に置いたけど、もし誰かが食べてこぼしたパンだったらどう?たべたいと思う?

パンは目に見えるけど、今日出て来たカナンの女の人が欲しかったのはパンじゃなく、子供の病気を治して欲しかったのです。目に見えないイエスさまの力、恵み、愛、が欲しかったのです。でもイエスさまはカナンの女の人がイスラエルの人じゃないから「イスラエルの人=子供、のパンをとってカナンの人、外国の人=子犬、にあげるのはよくない。と言っておられます。

女の人はなんて言った?聖書をみると「しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」今誰か、机の下にこぼれたパンは食べたくない、って言ったね。このカナンの女の人はこぼれたものでも良いから、子供がこぼしたお恵みでも良いから下さい。とお願いしました。なんとかして病気の子供を治して欲しいと言う気持ち、そしてイエスさまなら治して下さると、イエスさまのお力を信じて言ったのです。28節をみんなで読んでみましょう。

話してみよう

・祈りと願いは、近い関係にあるだろう。それぞれの祈りも、願いも、小さな紙に書き出してみるのはどうだろうか。もちろん、本音は書けないかもしれない。しかし、それは、承知することとして、書き出した紙の中で、出てくるのは、願いや希望かもしれないが、みんなで、祈りだとか願いだとか、希望というものについて、共有し、話し合い、気づく手掛かりにできるだろう。信仰は、神さまと関係していることを気づきたい。