・イエスさまがご自身の死と復活を予告された後に、この主の変容の出来事があったことはとても大切なことである。つまりまさに主のご受難の中に隠された栄光があることを示している。それを象徴しているのが「最期」とう言葉であり、もともとの意味は「旅立・出発」である。主は、私たちに赦しと救いを与えてくださるために、まさに出発をされようとしていることを、今日のみことばから聴きたい。
・弟子たちは「ひどく眠かったが、じっとこらえていると」と書かれている。この「眠たさ」は、私たちにとってさまざまな心配や悩みごとであり、主から私たちを離れさせようとする誘惑でもある。主は「じっとこらえている」、「じっと目覚め続けている」ように私たちに求められる。「これに聞け」とあるように、イエスさまのみことばに聞き続ける者でありたい。
・マルコによる福音書では、並行箇所で「六日の後」となっているのは、ギリシャ・ローマ的な日の数え方である。このルカによる福音書では、「八日ほどたったとき」となっているのは、ユダヤ的な日の数え方、つまり「日没から日没まで」という数え方にしたがっているものと思われる。
・「最期」をあらわすギリシャ語は「エキソドス」で、旅立ち(出発)を意味するが、よりよい状態への脱出であり解放であって、出エジプトを指して用いられてきた言葉でもある。主は「新しい出エジプト」を導かれる。