・イエスさまは洗礼のときに、聖霊が鳩の形をとってご自身の上に降ってくるのをご覧になった。その聖霊が主を荒れ野に導くが、主が誘惑を受けられるとき、いつも共に聖霊がとどまっていた。主は悪魔の誘惑を申命記のみことばを用いて退けられる。私たちがどのような試練に出会うときも、主が共にその試練を担っていてくださっていることを感謝したい。
・主が出会われた試練は、ここに記されている三つの誘惑だけに限られるものではない。それはむしろ主のご生涯の全てを表しているとも言える。13節で「時が来るまでイエスを離れた」と書かれているように、悪魔が離れたのは一時的でしかなく、やがて主の受難の出来事として巻き返してくる。それらの全ての試練(誘惑)を主が私たちの救いのためにご自身が担って下さったことを感謝のうちに覚えたい。
・マタイによる福音書ではユダヤ人への配慮のためか、出エジプト記に示されたイスラエルの民が受けた誘惑と同じ順序になっているが、ルカによる福音書ではエルサレムを中心にする傾向のためか、第二と第三の誘惑の順序が逆になっている。
・申命記は、約束の地を目前にしたイスラエルの民に、モーセがそれまでのさまざまな神の戒めをまとめて与えた書である。したがって主が用いられたこれらのみことばは、イスラエルの民がよく知っていたものである。