①イエス様が宣教のはじめにされたことは弟子を選ぶということでした。この「イエス様が弟子を選ばれる」ということは、神の選びの根拠は人間の側にない、ということを示します。
②そして、弟子を従えて、イエス様の働きが開始されますが、23-24節に働きの本質が語られます。「教え、宣べ伝え、いやされる」それがイエス様の働きであり、弟子たちの働きです。しかもそれを待っていて行うのではなく、「ガリラヤ中を回って」という、「行って」が大切です。
・「わたしについて来なさい」は「わたしの後に」という意味のことばが使われている。一方「従う」というギリシア語は、ただ「後を歩む」だけでなく「同行する、仲間になる」という意味もある。
・漁師を選んだのは彼らが「無学な普通の人」(使徒言行録4章13節)だったから。神さまの選びには人間的な才能や能力などは全く関係ないのである。
・会堂はイスラエルの各町にある集会所。当時、すべての町に聖書の解説を行えるような律法の先生がいたわけではなく、こういう先生は町から町へと旅をして教える慣習があった。律法の先生が来た、という知らせは町の中にすぐに伝わり、人々は安息日に話を聞くのを楽しみにしていた。
・英語の聖書では癒した病気を「disease and illness」と書いている。辞書には「illness」は通例あまり重くない病気、「disease」は「illness」よりは具体的な病気で病名のはっきりしたもの、伝染病または医学研究・治療の対象となるもの、とあるので「重い病気も軽い病気も」と訳すことができる。
・イエス様が最初にしたことは弟子を作るということでした。これもマタイ福音書の結びと対応しているようです。復活したイエスの弟子たちへの命令の中心は「すべての民をわたしの弟子にしなさい・・・」(28章19節)というものでした。
・「ガリラヤ」「デカポリス」(異国でガリラヤ地方の東南に位置)「ユダヤ全土」「ヨルダン川の東」という四つの地名を記すことで、国境を越えて、噂が拡がり、集まったことを記す。