2011年1月23日 顕現節第4主日
マタイ4:18-25 イザヤ43:10-13 Ⅰコリント1:26-31

今週の聖句

「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」
マタイによる福音書4章19節

ねらい

①イエス様が宣教のはじめにされたことは弟子を選ぶということでした。この「イエス様が弟子を選ばれる」ということは、神の選びの根拠は人間の側にない、ということを示します。

②そして、弟子を従えて、イエス様の働きが開始されますが、23-24節に働きの本質が語られます。「教え、宣べ伝え、いやされる」それがイエス様の働きであり、弟子たちの働きです。しかもそれを待っていて行うのではなく、「ガリラヤ中を回って」という、「行って」が大切です。

説教作成のヒント

・「わたしについて来なさい」は「わたしの後に」という意味のことばが使われている。一方「従う」というギリシア語は、ただ「後を歩む」だけでなく「同行する、仲間になる」という意味もある。

・漁師を選んだのは彼らが「無学な普通の人」(使徒言行録4章13節)だったから。神さまの選びには人間的な才能や能力などは全く関係ないのである。

・会堂はイスラエルの各町にある集会所。当時、すべての町に聖書の解説を行えるような律法の先生がいたわけではなく、こういう先生は町から町へと旅をして教える慣習があった。律法の先生が来た、という知らせは町の中にすぐに伝わり、人々は安息日に話を聞くのを楽しみにしていた。

・英語の聖書では癒した病気を「disease and illness」と書いている。辞書には「illness」は通例あまり重くない病気、「disease」は「illness」よりは具体的な病気で病名のはっきりしたもの、伝染病または医学研究・治療の対象となるもの、とあるので「重い病気も軽い病気も」と訳すことができる。

豆知識

・イエス様が最初にしたことは弟子を作るということでした。これもマタイ福音書の結びと対応しているようです。復活したイエスの弟子たちへの命令の中心は「すべての民をわたしの弟子にしなさい・・・」(28章19節)というものでした。

・「ガリラヤ」「デカポリス」(異国でガリラヤ地方の東南に位置)「ユダヤ全土」「ヨルダン川の東」という四つの地名を記すことで、国境を越えて、噂が拡がり、集まったことを記す。

説教

イエス様は伝道を開始されて、すぐにガリラヤ湖というところにやってきました。するとそこで、しょぼんとしながら、網を洗って引き上げる準備をしている、肩を落とし、早く家に帰りたい漁師たちに出会いました。一日中働いても何も獲れなかったのです。ペトロと呼ばれるシモンと兄弟のアンデレでした。イエス様は「わたしについて来なさい」と言われました。ついて来なさいと言われるからには何かしてくれるのです。それは「人間をとる漁師にする」ということ、イエス様の弟子にするということでした。今まで魚を捕って殺していた漁師たちは今度は人間を生かす漁師、人間をとる漁師になっていくのです。その違いを聖書は「とる」とひらがなで表現しているんですね。そのすぐ後には同じように漁師であるヤコブとその兄弟ヨハネもお呼びになりました。この二人もすぐに弟子になりました。イエス様はどうして漁師を弟子にしたのでしょうか。漁師は獲った魚の数だけ数えられればいいので、学校に行く必要もありませんでした。勉強もできないし、特別な存在ではありません。その辺にいる普通の人です。普通の師弟関係なら、弟子のほうが「これぞ」と思う先生に弟子入りを願うものです。しかし福音書の中では、先生であるイエスが弟子を選ぶのです。それは神さまの選びの根拠は人間の側にないのです。神さまが人間を選ぶというのは、選ばれた人間が優れているからではなく、神さまの選びとは、最も弱く、貧しい人を選ぶことによって、すべての人を救おうとすることにあるのです。だから今、漁師たちが選ばれたのです。同じように小さいわたしが選ばれます。

イエス様の招きの言葉を聞き、四人はあれこれ悩んだでしょうか。きっとそうではなく、すぐにイエス様に従っていったのです。神さまの召しに応える。それは単純さが大切なのです。ただ単純にイエス様の呼びかけに応じて、ついて行くこと、そして、イエス様の言葉を素直に受け入れることが大切なのです。神さまを信じる、必ず道を開いてくださるという確信、単純な信頼が大切なのです。

こうして、イエス様の働きは始まりました。人間をとる漁師の働きは「教え、宣べ伝え、いやす」ことでした。どれかひとつだけをイエス様はされたのではなく、全部をされたのです。だから一人ではきっとできなかったのです。ガリラヤ中を回られました。わたしたちもイエス様の弟子になって同じようにイエス様がされていた働きを受け継いでいきたいものです。その時に大事なのは声をかけられたら「何も持っていないからできません」というのではなく、「はい」と言うこと、そして、自分が優れているからとは思わず、神さまに助けられながら歩むことです。

イエス様の所には様々な所から福音を聞きに、また助けてもらったり、病気を治してもらいに、多くの人が来ました。今も同じようにイエス様の働きを待っている方がおられます。その方の所に行かれるイエス様に「ついて行く」それが弟子として生きる道なのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□67番 「ペテロは」

□改訂53番 「ペトロは」

やってみよう

☆お弟子さんカードを作って、神経衰弱に挑戦しよう

<用意するもの>

裏移りしない厚手の紙をトランプ程の大きさに切っておく(50枚くらい)

・マジックペンや色鉛筆など

①お弟子の名前を2枚ずつ書く。もしくは、1枚に名前もう1枚に顔でもOK!

②次にメンバーの名前も2枚ずつ書く。もしくは、1枚に名前もう1枚に顔でもOK!(教会の人の名前で作っても良いですね)

③残ったカードに、魚の名前を2枚ずつ書く。1枚に名前、もう1枚に絵でもOK!

④できたら、みんなで神経衰弱をしよう。ただし、メンバーのカードは3点、お弟子カードは2点、魚カードは1点で計算します。ルールは自由に変えてみてください。

※しっかりした紙で作ると、何度も使えます。