福音書 ヨハネ21:1-14
第一の日課 使徒4:5-12
第二の日課 Ⅰヨハネ1:1-2:2
① 私たちの信仰生活は「復活のキリストの声に聴く」ことから始まることを伝える。
② 復活のキリストは挫ける者、哀しむ者、悩む者に必ず希望を与えてくださると知る。
・この大漁の出来事を、ルカ 5 章 1~11 節の記事と併せて読み、黙想する。
・「ティベリアス湖」(1 節)…これは「ガリラヤ湖」の別名であるが、歴史的にガリラヤ湖は、その時代時代において呼び名が変わってきた。旧約聖書時代には「キンネレトの海」、のちに「ゲネサレト湖」、ローマ人がパレスティナを植民地として支配するようになると、ローマ皇帝の名をつけて「ティベリアス湖」と呼ばれるようになった。マルコとマタイ福音書は「ガリラヤ湖」、ルカとヨハネは「ティベリアス湖」と記す。イエスが殺された後、エルサレムの町の一室で息を潜めて追っ手の追及を逃れていた弟子たちは(20 章 19 節)、ほとぼりが冷めたころ、故郷に帰ってゆく。多くの弟子たちがガリラヤ出身であった。故郷は、傷つき、くじけた心を優しく包み、癒してくれる場所ではないか。あるいは再出発するためには、一度そこへ帰らなければならないと思ったのかもしれない。
・「舟の右側に網を打ちなさい」(6 節)…この出来事は、ルカ 5 章 1~11 節に記されている福音を思いこさせる。あの大漁の出来事を目の当たりにして、恵みの中で自らの罪深さに気づかされ、主の弟子とされたペトロは、復活のキリストとの出会いを通して同じ体験をする。漁においてはプロであるペトロが、「呼びかける声」に従って網を打つ。復活のキリストの語りかけだとは知らずとも、聴き従うことによって、思いがけない恵みがもたらされるのである。
・ 「イエスの愛しておられたあの弟子」(7 節)…ヨハネのみが何度も伝える(13:23、19:26、20:2、21:20)する弟子であり、福音書の著者ヨハネであるとの解釈がなされてきた。筆頭弟子であるペトロへの配慮から実名を避けたと考えられる。
・「153 匹もの大きな魚」(11 節)…諸説あるが、当時の地中海にいる全種類の魚であるともいわれる。国家、民族、人種、性別を超えて、イエスに捕らえられないもの、イエスの恵み・祝福に与らないものは一人もいない、と受けとめられる。