2009年4月26日 復活後第2主日
ヨハネ21:1-14 使徒4:5-12 Ⅰヨハネ1:1-2:2

今週の聖句

「さあ、来て、朝の食事をしなさい」
ヨハネによる福音書 21:12

ねらい

① 私たちの信仰生活は「復活のキリストの声に聴く」ことから始まることを伝える。

② 復活のキリストは挫ける者、哀しむ者、悩む者に必ず希望を与えてくださると知る。

説教作成のヒント

・この大漁の出来事を、ルカ 5 章 1~11 節の記事と併せて読み、黙想する。

豆知識

・「ティベリアス湖」(1 節)…これは「ガリラヤ湖」の別名であるが、歴史的にガリラヤ湖は、その時代時代において呼び名が変わってきた。旧約聖書時代には「キンネレトの海」、のちに「ゲネサレト湖」、ローマ人がパレスティナを植民地として支配するようになると、ローマ皇帝の名をつけて「ティベリアス湖」と呼ばれるようになった。マルコとマタイ福音書は「ガリラヤ湖」、ルカとヨハネは「ティベリアス湖」と記す。イエスが殺された後、エルサレムの町の一室で息を潜めて追っ手の追及を逃れていた弟子たちは(20 章 19 節)、ほとぼりが冷めたころ、故郷に帰ってゆく。多くの弟子たちがガリラヤ出身であった。故郷は、傷つき、くじけた心を優しく包み、癒してくれる場所ではないか。あるいは再出発するためには、一度そこへ帰らなければならないと思ったのかもしれない。

・「舟の右側に網を打ちなさい」(6 節)…この出来事は、ルカ 5 章 1~11 節に記されている福音を思いこさせる。あの大漁の出来事を目の当たりにして、恵みの中で自らの罪深さに気づかされ、主の弟子とされたペトロは、復活のキリストとの出会いを通して同じ体験をする。漁においてはプロであるペトロが、「呼びかける声」に従って網を打つ。復活のキリストの語りかけだとは知らずとも、聴き従うことによって、思いがけない恵みがもたらされるのである。

・ 「イエスの愛しておられたあの弟子」(7 節)…ヨハネのみが何度も伝える(13:23、19:26、20:2、21:20)する弟子であり、福音書の著者ヨハネであるとの解釈がなされてきた。筆頭弟子であるペトロへの配慮から実名を避けたと考えられる。

・「153 匹もの大きな魚」(11 節)…諸説あるが、当時の地中海にいる全種類の魚であるともいわれる。国家、民族、人種、性別を超えて、イエスに捕らえられないもの、イエスの恵み・祝福に与らないものは一人もいない、と受けとめられる。

説教

イエス様の 7 人の弟子たちがふるさとのガリラヤに集っていたときのことです。それまでにも二度、彼らは復活のイエス様にお会いしていたのですが(14 節)、いまだに信じられなかったので、深く落ち込んでいました。自分たちはあのとき、十字架にかかったイエス様を見捨て、大切な方を裏切って逃げてしまった…。そんな情けない、後ろめたい思いが、弟子たちにはあったことでしょう。皆さんはとても哀しく、落ち込んでいるときに何をするでしょうか?ペトロは思わず「わたしは漁に行く」(3 節)と言いました。色々な気持ちが入り混じっていたに違いないけれども、ペトロは魚をとることが仕事でしたから、哀しくても、つらくても、漁に行かなければならなかったのです。あるいは、「じっとしてなんかいられない。漁にでも行けば、イエス様を失った哀しみを少しの間だけでも忘れられるかもしれない」。そう思ったのかもしれません。私たちもそうですね。イヤなこと、哀しいこと、ツライことがあっても、生きていかなければなりません。学校にも、仕事にも行かなければならないのです。

そうして、ほかの弟子たちも一生懸命漁をしましたが、その夜は何もとれませんでした。かつてイエス様は、弟子たちにおっしゃいました。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(ヨハネ15 章 5 節)と。ふるさとのガリラヤに帰って来てはみたものの、そのお言葉通り、イエス様がおられなくては、何をしていいかわかりません。

早朝、力なく漁を終えようとする弟子たちに語りかけてくる声がありました。「子たちよ、何か食べ物はあるか」(5 節)。けれども、弟子たちはそれに気づきません。復活のキリストが語りかけてくださっても、弟子たちに見られるように、私たち人間のかたくなな心は、そう簡単には開かないのです。そんな人間に、復活のキリストは、平たく訳すなら「何か食べ物はないの?」と、腰を低くして歩み寄ってきてくださるのです。確かなことはただ一つ。人がそれに気づこうと気づくまいと、復活のキリストは、生きようとする者に、必ず希望を与えてくださるということです。その声の教えるままに網を打ってみると、一晩中の苦労がうそだったかのように、網を引き上げるとそれを破らんばかりに勢いのいい魚が入っています。「魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった」(6 節)。

何と驚くべきキリストの豊かさでしょうか。あのときもそうでした。ペトロがイエス様のお言葉通りに網を降ろすと「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」(ルカ 5 章 6 節)。でも今や彼らは、あのときのように獲れた魚の多さに驚くこと(ルカ5章9節) はありませんでした。なぜなら、恵みもたらされたのは、復活のキリストだったからです! 「一緒に食事をする」ということは、とてもホッとする、あたたかな気持ちになることができるひとときではないでしょうか。家族と、あるいはまた大切な・大好きな人と一緒にする食事ほど嬉しいことはありません。「大切な人がわたしと一緒にいてくれる」というだけで、嬉しくならないでしょうか。復活のキリストは、「わたしはいつもあなたたちと共にいるのだよ」と豊かな食卓を整え、みんなを招いてくださっています。わたしたちも弟子たちと同じように、キリストの食卓から勇気と励まし、命を受けて歩んでゆきましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□90番 「うたいましょう」

□改訂版126番 「うたいましょう」

やってみよう

私たちみ~んなが魚!

紙でそれぞれの子どもが魚をつくります。色をつけ、魚に自分の名前、家族や友だち、教会の人の名前などを書きます。シーツ、風呂敷のような大きな布を網に見立てて、その上に魚を並べます。布の四隅をまとめて一つに持ち、神さまが私たちすべてを一人ももれなく救ってくださる恵みをおぼえて感謝の祈りをささげます。

または魚に国の名前を書くのもよいでしょう。どの国のどんなひとも神さまは救ってくださるのです!

漁師さんになって劇遊びをするのも楽しいと思います。

はなそう

・もともと漁師だったペトロたちは、漁に行きました。でも、魚は捕れませんでした。 イエスさまが自分たちのそばからいなくなった中で、何も魚が捕れず、ペトロたちはどんな気持ちだったでしょうか?

・陸に上がると、火がおこしてあり、パンも魚も用意してありました。主イエスさまが彼らのために用意してくださっていたのです。「さぁ、来て、朝の食事をしなさい」と言われて、弟子たちはどんな気持ちだったでしょうか? あなたならどんな気持ちになりますか?