①マルコが伝える「復活のキリストの福音」は、「ガリラヤ」から始まることを伝える。
②その福音は、わたしたちの日常生活にも届けられていることを伝える。
・メッセージをする者にとって「復活のキリスト」はどこにおられるのかを黙想する。
・「安息日が終わると」(1 節)…「安息日(土曜日)の日没が来ると」という意味で、午後六時を指す。私たちの感覚では「土曜日の夕方に」というところだろうか。安息日にはあらゆる労働が禁じられているため、店も閉まっている。安息日が終わればその規定は解かれるから、香料を買いに行くことができるわけである。
・「マグダラのマリア」…彼女については 9 節で「以前にイエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である」と説明されている(ルカ 8 章 2 節も参照)。
・「ヤコブの母マリア」…イエスのこの世の母であろう。40 節で言われている小ヤコブとヨセがイエスの兄弟(マルコ 6 章 3 節)であるなら、その可能性は高くなる。
・「サロメ」…ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母である。かつてイエスに、二人の息子がイエスの右と左に座れるようにと願った女性でもある(マタイ 20 章 20 節)。
・「油(=香料)を塗る」ことは、墓の中の臭気を抑える処置であり(ヨハネ 11 章 39 節)、当時、香料は王の埋葬時などに使用されていたことを考えると(歴代誌下 16 章 14 節、エゼキエル書 16章 9 節)十字架刑によって処刑された者に対する処置としては異常なものであった。女性たちのイエスに対する最大限の敬意と、深い愛が感じられる。
・「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」(7 節)…マルコにとって「ガリラヤ」は単なる地名ではなく、特別な意味を持った場所である。ここはイエスの故郷、公に宣教開始の宣言をされた地であり(1 章 14-15 節)、最初の弟子たちを召した場(1 章 16-20 節)であり、「宣教し、悪霊を追い出された」(1 章 39 節)ところであった。預言者イザヤによれば「異邦人のガリラヤ」であるが(イザヤ書 8 章 23 節)、そのような「辺境の地」からこそ神の福音は始まることを、マルコは福音書を結ぶにあたり、特別な思い入れをもって宣言しているのである。生前のイエスが人々と共に生きた「生活の場」であったガリラヤからこそ、復活のキリストの福音は始まるのだと。あの出発点に、「信仰の原点」へと戻れ!と。