TNG The Next Generation

2024年9月1日 聖霊降臨後第15主日

福音書 マコ7:1〜8,14〜15,21〜23
第一の日課 申4:1〜2,6〜9
第二の日課 ヤコ1:17〜27

今週の聖句

「人の中から出て来るものが、人を汚すのである」
マルコによる福音書7章15節

ねらい

 人を汚すものは、自分の外から入るものではなく、自分の中から出るものであり、自己の内面と向き合う。

 悪意であれ、悪口であれ、外からのものは、本来、その人を汚す効力を持たない。なぜなら、イエスさまは、ファリサイ派の人々や律法学者たちから悪意を向けられても、兵士たちから悪口を言われても、それによって汚れることはなかった。23節に「これらの悪はみな中から出て来て」とあるように、「みな中から」なのである。

 自己の内面に気づく力を養う。また、悪しき思いに気づいたら、それを手放していく。

 人から悪口を言われて気にしないという人は稀かもしれないが、外からの悪に振り回されないように、心の中にイエスさまを迎え、しっかりとイエスさまと結ばれていく。

説教作成のヒント

 本来、律法は人を生かすためのものであったが、律法学者とファリサイ派の人々の教える律法は、形式的となり、真意が失われ、誤用されるようになった。イエスさまは、真意から律法を説くが、それは、彼らの目から見れば、律法違反と映る自由な態度であった。

 律法学者とファリサイ派の人々の説く律法は、自分たちの正当性を主張し、人を裁くために用いることが多かったため、イエスさまは、彼らの態度を痛烈に批判している。しかし、イエスさまの主訴は、そこにあるのではない。失われた真意を取り戻すことにある。すなわち、人を生かすために、正しく用いる極意を示したいのである。17節以降で、それは弟子たちだけに解き明かされている。

豆知識

 「ファリサイ」は分離する者。

 「偽善者」は「俳優」に由来し、舞台で仮面をかぶって演じる役者のように、見せかけの正しさを演じている。

 「身を清める」は、汚れを洗い落すこと。市場は、大勢の人々の行き交う場所で、そこでは、汚れをもつ異邦人や病者とも接触した可能性があり、そのため、彼らはいつも体を洗って(バプティゾ)、身を清めていた。

 「コルバン」は「供え物」の意味で、神に献げられたものの名称を指す。律法には「父と母を敬え」とあり、高齢の両親を大事にすることが説かれている。しかし、両親を大切にせず、わずかな「コルバン」を渡すだけで、思いやりに欠ける子どもが多くいたのであろう。律法の解釈を捻じ曲げて言い訳にしている人々に対するイエスさまの批判。

説教

食事の前に手を洗いましょう。保育園・幼稚園でも、学校でも、そのように習ってきました。手を洗ってから食事をしたほうが気分も良いし、よごれた手で食べ物を触ったら、体の中にばい菌が入ってお腹を壊してしまうかもしれません。手の清潔を保つことは大切です。でも、イエスさまの時代では、その理由が違っていました。宗教的な意味で、手を洗う必要があったのです。それは、けがれたものに触ってはいけないという教えからでした。

けがれって、どういうこと?

 律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちこそ神さまから選ばれている「聖なる民」で、それ以外の異邦人は汚れた人、律法の教えを守れない罪人も汚れた人、また、病人や悪霊に憑りつかれた人も汚れた人、そうした人々と付き合ってはいけない、一緒にご飯を食べてはいけないし、手で触ってもダメ、そのように暮らしていたんです。

ええ~、びっくりです。そんなことって、あるんですか?

市場へ出かけたら大勢の人で込み合っています。いつ汚れた人と出会って、誰と接触したかも分かりません。だから、市場から帰ったら、すぐに体を洗って、それからでないと食事をしてはいけないという決まりでした。イエスさまは、彼らの教えに、あきれ果ててしまいました。そして、彼らに偽善者と言いました。

偽善者は見せかけばかり正しくて、でも、心の中は神さまから遠く離れて、神さまを悲しませているのです。

イエスさまは言われました。「人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

そうです。私たち人間の心の中にある悪い思い、悪口、ねたみや傲慢、えばりん坊、それらが、人を汚すのです。相手も、自分も、周りの人たちも、みんなの心を暗くします。

イエスさまは、罪人とも仲良く食事をされました。病人や異邦人にも手で触れ、お癒やしになりました。

この世に、汚れた人は、一人もいないのです。イエスさまは、私の中にある罪も汚れもすべて、十字架の血によって洗い清めてくださいました。ですから、私たちは晴れやかな心で、いつもイエスさまと一緒に過ごしましょうね。

(執筆: 小勝奈保子牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)60番「かみよわたしの」、改訂版27番「キリエ・エレイソン」。

やってみよう

「罪は赦される?」

用意するもの:油性ペン、風船

①今までの中で、嫌なことを言ったり、誰かを傷つけてしまったり、罪だと思うことは何か考える時を持つ。

②話し合ったことを踏まえて風船に油性ペンで《自分の罪》を書く。

③風船を膨らませる。(『人の中から出てくるものが、人を汚すのである。』をイメージ。)

④最後に『イエス様はそんな私たちを赦してくださいます。』と言い、風船を割る。

はなしてみよう

自分の中にある悪い思いに気づいたら、放っておいちゃいけないね。どうしたらよいかな?

(キミならどうする? CSの先生に聞いてみよう!)

心の中の悪い思いは、悪口やねたみ、傲慢だけではないね。他にも何があるかな?

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