私たちの心の中を知って、愛してくださるイエス様に出会う。
・イエス様は弟子たちが信じられるように、自分から手とわき腹の傷を見せてくださいました。
・イエス様はトマスが一言も発しないうちに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」と言われました。イエス様はトマスの心の中をご存じだったのです。
・イエス様はトマスの心の中を見て、トマスがイエス様の復活を信じられなかったことを知っても、怒りませんでした。
・そうではなくてトマスが信じられるように「やりたいと思っていたことをやってみなさい」と言われたのです。イエス様はトマスのことを愛しておられたからです。
・ヨハネ福音書では、復活の朝、空の墓を見たのがシモン・ペトロ、「イエスの愛しておられた弟子」と呼ばれる人物、マグダラのマリアである。そのうちマグダラのマリアの前に、イエスは最初に現れている。そしてイエスはマグダラのマリアに現れた後、弟子たちのところに現れる。復活の日の夕方の出来事である。
・イエスが口にされた「平和があるように」という言葉は一般的なあいさつの言葉であるが、同時に14:27(わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。)や16:33(これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。)の約束を想起させる。
・トマスとのやりとりは並行記事を持たないヨハネ福音書独自の記述である。しかし弟子の懐疑というテーマについてはマタイ28:17(そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。)やルカ24:11(使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。)において扱われているのを見ることができる。