「言(ことば)」は、イエスを表しています。「言」であるイエスは、肉となった。これは、私たちと同じ人間になられたということです。その誕生は、神の子であることを固守せず、肉の子、すなわち、私たちと同じ人間である肉として、人間の痛みも苦しみも悲しみも、そして喜びをも全て持った人間としての誕生です。
・ヨハネ福音書の冒頭に、「初めに言があった。言は神と共にあった。」とあります。この「言」の表現ですが、この著者は、地上に来られる前から、イエスは神としての存在であり、また栄光の人として存在したということでしょう。
・このイエスの誕生は、言葉という約束、つまり、旧約聖書の預言者たちが救い主の到来を予言し、ついにイエスの誕生を迎え、その意味では、「言」は約束であり、約束は不履行にもし、履行をもなしますが、神の約束の「言」は、約束の確かな履行であり、口約束に終わらず実行に移し、この地上に誕生されたのです。
・「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」の一連の「言」の本質は、信仰の目によってのみ見えるということを強く現しています。「イエスは神の子メシアである」と信じる信仰です。
・ヨハネ福音書は、紀元1世紀末前後に成立したものと言われています。この著者は、マタイ、マルコ、ルカ福音書を知らないまま、この書を執筆したものと思われます。他の福音書と共通する伝承箇所はありますが、特に、イエスの十字架による死に至る受難を中心として、一貫して信仰の目でイエスの人格とその業を見つめています。
・「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」という意味は、別名「受肉(インカネーション)」と呼ばれるものです。