十字架を背負って・・・それはわたしたちの罪のために、ご自身を犠牲にして、お受けになったイエスさまのお姿です。その御姿に倣うということ、それはつまりわたしたちも隣人を愛していくことであることを伝えたい。
「イエスさまは何者?」ということについて、弟子たちは、いろいろ誤解していた。
実際、子供たちにも(もちろん大人たちの中にも)「すごい人」といったイメージを持っていることがあるかもしれない。
二つの面で、そのイメージを崩すことが大事である。
ひとつは、イエスさまは天から来られた神の子であるということ。いわゆる、偉人のひとりではないということ。
もうひとつは、今度は逆になるが、「天から来られた神の子」というイメージが強ければ、「すごい御方」「キラキラ輝く」といったイメージになっているかもしれない。そうではなく、この御方は、徹底的に低くなられたということ。
どちらも、弟子たちが、抱いていた誤解であった。
「サタン、引き下がれ」の言葉は、いくつかの英語の聖書でGet behind me,と訳されているように、「私の後ろに、行きなさい」である。ペトロは、イエスさまの前に出て、いさめた。それは「あなたのやり方は違いますよ。こうやるのですよ」と言って、イエスさまを自分のやり方で従わせようとしたこと、と言えよう。そうではなく、イエスさまの後ろに行く・・・イエスさまの背中を見て、足跡を踏みしめていく。そこにある足跡は、十字架への道なのである。