中心の聖句は、イエス様がご自身の十字架の死についてあらわされた言葉です。21節のギリシア人の「イエスにお目にかかりたい」という問いを弟子から伝えられてイエス様は答えました。それは、「地に落ちて死」ぬ一粒の麦のようにイエス様が十字架で死なれる時、人は真実にイエス様にお目にかかるということでした。その時、イエス様の栄光を見ます。子どもたちには、麦を視覚化して語ることや、25節以降も合わせて語るなどの方法で、話の筋道を立てると良いかも知れません。15章のぶどうの木のたとえ話などを読んでおくと理解が深まるでしょう。また、イエス様の言葉の意味をよく理解した上で、25-26節との関連から、信仰者自身の生き方を考えることもできるでしょう。高学年向けに関心を持ってみるのも良いかも知れません。
20節の「祭りのとき」とは過越祭(1節)であり、それは大麦の収穫期であり、この七週後は小麦の収穫期と分かる(お持ちの新共同訳聖書に「付録」がある場合、「用語解説」の「刈り入れの祭り」などを読んでみましょう)。