2021年3月21日 四旬節第5主日
ヨハ12:20~33 エレ31:31~34 ヘブ5:5~10

今週の聖句

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
ヨハネによる福音書12章24節

ねらい

イエス様の十字架の出来事について思いを寄せよう。

説教作成のヒント

 中心の聖句は、イエス様がご自身の十字架の死についてあらわされた言葉です。21節のギリシア人の「イエスにお目にかかりたい」という問いを弟子から伝えられてイエス様は答えました。それは、「地に落ちて死」ぬ一粒の麦のようにイエス様が十字架で死なれる時、人は真実にイエス様にお目にかかるということでした。その時、イエス様の栄光を見ます。子どもたちには、麦を視覚化して語ることや、25節以降も合わせて語るなどの方法で、話の筋道を立てると良いかも知れません。15章のぶどうの木のたとえ話などを読んでおくと理解が深まるでしょう。また、イエス様の言葉の意味をよく理解した上で、25-26節との関連から、信仰者自身の生き方を考えることもできるでしょう。高学年向けに関心を持ってみるのも良いかも知れません。

豆知識

 20節の「祭りのとき」とは過越祭(1節)であり、それは大麦の収穫期であり、この七週後は小麦の収穫期と分かる(お持ちの新共同訳聖書に「付録」がある場合、「用語解説」の「刈り入れの祭り」などを読んでみましょう)。

説教

今日、私たちは、聖書を通して、イエス様の麦の種のお話を聞きました。みんなは、小さな種が成長して、たくさんの実がなること知っていますか。もし、土に落ちた麦の種が、土の中でそのままの形だったら、何も起こりません。何日待っても、実はなりません。でも、土の中で種の形がなくなって、芽が出て大きく成長したら、沢山の実がなります。実がなった時に、もう一度、その土の中を掘ってみても、蒔いた時の種はありません。もともとの麦の種はなくなってしまいます。でも、その時、もともとの麦の種は、沢山の実の栄養となっています。実が生きるための力となっています。

イエス様は、イエス様が種となって私たちに生きるための力を与えるよ、ということをお話ししていました。イエス様は言いました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。この言葉は、イエス様が十字架に死ぬことによって(イエス様の十字架の出来事を通して)、私たちがイエス様とつながって生き、イエス様を通して神様とつながって生きる毎日が与えられるんだよ、ということを表しています。

イエス様は、神様がおっしゃられたとおりに十字架への道を歩まれました。それはとても大変な道のりでした。そしてその結果、私たちに生きる力が与えられました。私たちは、イエス様を通して、神様からの生きる力をもらうんだ。それは、私たちが仲良く平和に生きるための力です。だから、これからもイエス様につながっていようね。神様は、イエス様とつながって生きる私たちを大切にしてくださります。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)38番「わたしたちの 罪のため」、改訂版85番「イエスのになったじゅうじかは」1節、2節、6節。

やってみよう

☆花や野菜を植えてみよう

・みんなで話し合い、花や野菜の種や苗を植える。

・植物の成長を想像して楽しみに待ちつつ、自分ばかりを大切にするのではなく、周りの人達のために自分を用いさせていただく生き方について考えてみよう。

はなしてみよう

・イエス様の十字架の意味についてはなしてみよう

・25-26節を読んでみて、イエス様の示してくださった私たちの生き方をはなしてみよう

・聖書に出てくる植物や動物についてはなしてみよう