・イエス様は私たちのために十字架を背負われたこと、私たちも自分のためではなく他者のために十字架を背負う者となろう。
・自分を捨て、という言葉を“他者のために”と置き換えてみました。自分を捨てるということと、神様が私を愛してくださっているということは矛盾しません。自分のことを愛してくださる神様が、他者を愛さない訳があるでしょうか。神様が隣人を愛しているように、自分も自分を中心に置くのではなく、神様と隣人を中心に置いて歩んで行くということを伝えたら良いと思います。
・神の愛(ここでは十字架)が先立って示されているということも重要なポイントのように思います。私たちは神になるのではなく、神に倣う者になるのです。
・十字架は元来、処刑道具でした。それも政治犯、今で言うテロリストを罰するためのものでした。イエス様は政治犯として捕らえられ、殺されてしまったのです。
・ルーテル教会の十字架にはイエス様が掛けられておりません。そこにはもうおらず、復活なさったのだということを覚えるためです。
・「サタン、引き下がれ」と言われてしまうペトロですが、数節前には「あなたはメシア、生ける神の子だ」と信仰告白をしています。神のことを思わず、人間の思ってしまうということは私たちの本当にすぐそばにあるのだということが分かります。