イエス様が来られたのは何のためだったのかを、洗礼者ヨハネの言葉を使って伝える。
先週と福音書は異なりますが、その続きともいえる箇所です。先週が洗礼についての箇所ならば、今週は聖餐を想起させる箇所です。あらすじのようなものがありませんので、お話しするのは難しいと思いますが、「小羊」がどのような意味を持っているのかを分かち合うといいかと思います。ほとんどの人にとって身近な動物ではないでしょうから、写真などがあれば使ってみてください。
・小羊にはいけにえの意味があります。いけにえとされてきた動物は牛や羊などもいますが、ここでは特に出エジプト記12章にある過ぎ越しの出来事と、イザヤ書53章7節の「苦難の僕」の姿が想定されています。身代わりとして、また贖いのためにささげられるものです。
先週、イエス様が洗礼を受けられた物語を読みました。今日の箇所はイエス様に洗礼を授けたヨハネという人が、イエス様のことを説明している言葉です。ヨハネは、イエス様のことを「小羊」と言います。小羊を見たことがある人はいますか?動物園や牧場で見たことがある人はいるでしょうか?きっと、とてもおとなしい、かっこいいというよりはかわいい動物だったことと思います。
では、小羊を食べたことがある人はいますか?実は羊は牛や豚と同じように、食べることができます。聖書の中でも、小羊を食べるお話があります。じゃあ、イエス様はたくさんの人においしく食べられる人、ということでしょうか?
聖書の中に書かれている、とても有名な小羊を食べるお話は、ただみんなでおいしく食べました、というお話ではないのです。昔々、エジプトで奴隷として働かされていたイスラエルの人たちが、モーセという人に引き連れられてそこから逃げたということがありました。その逃げるすぐ前に、イスラエルの人たちが神様からこれを食べなさいと言われたのが小羊だったのです。小羊を食べて、その小羊の血を家の入口に塗りなさい、と神様は言われました。そのようにした家は、神様の災いを逃れることができたのです。そうしなかった家は、人間の赤ちゃんも動物の赤ちゃんも死んでしまいました。小羊は、身代わりとして食べられたのです。
もうひとつ、小羊の大切な姿があります。おとなしく、静かに人に連れていかれたり毛を刈られたりする姿です。その姿は、イエス様が文句を言わず、十字架へと真っすぐに歩まれる姿をあらわしています。ヨハネがイエス様のことを「神の小羊」と言うとき、それは小さなかわいい小羊、おいしい小羊という意味なのではありません。私たちの身代わりとなって、いけにえとしてささげられる小羊なのです。
教会では洗礼の他に、もう一つ大切にしているものがあります。それは「聖餐式」です。礼拝に来た洗礼を受けている人は、この聖餐式でパンと葡萄酒を受け取ります。これは、イエス様が私たちのためにいけにえとなってくださったことを忘れないために行います。イエス様がいけにえになると聞いて、かわいそうって思う人もいるかもしれません。ちょっと心が苦しくなる人もいるかもしれません。それはとても大切なことです。神様はそれぐらい深く、私たちに生きていってほしいのです。私たちが神様の愛する子どもであり、神様は私たちのためにどんなことでもしてくださる方であることに感謝できますように。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
31 「キリストイエスは」
改訂版 32「すべてのひとよ」
<用意するもの>
・厚紙
・割りばし
・ひも
・ビーズ
1.厚紙に表面にイエス様、裏面に羊をかいて、貼り合わせ、下に割りばしをつけよう
2.両端にビーズを通した紐をつけて
3.くるくるするとでんでん太鼓みたいになるよ
・「神様、ごめんなさい」と思うときはありますか。それはどんなときですか(言えることだけで大丈夫です)。
・「神様、ありがとう」と思うときはありますか。ごめんなさいと思うときとどんな違いがありますか。