一年の始まりに、「聖書に聞く」ということの意味を聞けたらと思います。困ったり迷ったりしたとき、わたしたちには大きな助けがあります。
学者たちがささげた贈り物にも意味があるとされますが、学者たちがどんな旅をしてきたのかを聞き手と一緒に想像しながら、追体験してみたら楽しいのではないかと思います。なぜまっすぐにベツレヘムに行けなかったのか、星を再び見たときの学者たちの喜びなど、感情移入しやすいのではないでしょうか。
・日本で暮らしていると、12月25日でクリスマスは終わってしまいますが、教会の暦では1月6日までがクリスマスの期間です。
・捧げものには意味があります。黄金は王の象徴、乳香は祈りの象徴、没薬は死の象徴です。イエス様が王の中の王であるということ、イエス様が神の子であること、イエス様が十字架の死を経て復活することをそれぞれ表していると言われています。
・ベツレヘムはダビデの出身地です。イスラエルを治める王、メシアはダビデの街から現れると信じられていました。
一年の最初に聞く聖書のお話は、クリスマスの最後のお話でもあります。イエス様のところに、外国から学者さんたちがやってきて贈り物を献というお話です。絵や人形で見たことがあるかもしれません。
遠くから旅をしてきた学者さんたちは、イエス様が生まれたということを、星を見て知ったとあります。ところが、迷わず真っすぐにイエス様のところに辿り着いたのではありませんでした。イエス様はベツレヘムという街でお生まれになったのですが、学者さんたちはそこから7キロほど離れた、エルサレムの宮殿に行ってしまったのです。そこで、ヘロデという王様会って尋ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と。ヘロデ王もまわりの人もびっくりしました。全然そんな心当たりがなかったからです。
ですが驚いたのは学者さんたちも同じでしょう。彼らも、王様になる人だから、きっと王宮にいるに違いないと思い込んでしまっていたのです。ところが、そこにイエス様はいませんでした。学者さんたちは戸惑ったと思います。せっかく苦労して旅をしてきたのに、会えないかもしれない。いや、もしかしたら星を見間違えてしまったのかもしれない、王様になる方が生まれたというのは勘違いだったのかもしれない…色んな不安がよぎったと思います。
ところが、調べてみるとちゃんと聖書に書いてありました。王様が生まれる町は、ベツレヘムという街だと。それを聞いて学者さんたちはまた旅に出ます。まだ不安はあったかもしれません。ですが出かけてみると、最初に見た星がまた現れて、導いてくれたのです。学者さんたちは喜びにあふれた、とあります。どれほど嬉しかったでしょう。どれほど安心したでしょうか。
目的地を目指して進んでいるときに、ときどき間違って全然違うところに行ってしまうこと、私たちの毎日でもよく起こる出来事です。どんなに計画を立てても、うまくいかないことがあります。そんなときは聖書の言葉に聞いてみましょう。大切なヒントが沢山書いてあります。聖書の言葉と一緒にもう一度歩き出したとき、きっと私たちもその先でイエス様に出会えます。新しい一年も、何度もイエス様に出会う、安心に出会う、最後に神様に感謝できる、そんな歩みでありますように。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
111「とてもさむい」
改訂78「とおくのひがしから」
外国人に神様が姿を現わされた記念日。そして人を選ばずどの人にも輝いた星を覚えて製作しましょう。
折り紙で星をつくり、中心がわかるようにしておく。
ボール紙に貼り、マッチ棒や割り箸を中心の棒にしてこまを完成させる。
割り箸を使う時は鉛筆削りで先を少し尖らせると良い。
星に色や模様をつけてもよい。
また星を3つ重ねたこまを作ってもおもしろいでしょう。
・道に迷ったこと、そこから帰ってきたことがある人はいませんか。どうやって帰ってこれたでしょうか。
・イエス様は王宮にはいませんでした。もし今、イエス様が生まれたとしたら、どんな場所に生まれたと思いますか。