神に生かされ、養われていることを、悔い改めることを通して受け取っていきましょう。
ラザロと金持ちは死んだ後、対照的な待遇を受けます。その両者の溝は悔い改めたかによって生まれています。「悔い改め」とは、全てを神に委ね、神に生かされ、神に養われていることを受け取ることです。地上において弱くされていたラザロはそのことを知っていたけれども、金持ちの男は地上で何もかも持っていたからこそ、悔い改めることが出来なかったのです
ラザロは金持ちの門前に「横たわり」とありますが、直訳すると「置かれていた」とも読むことが出来ます。金持ちはラザロにひどい扱いをしていた可能性もありますが、「置かれていた」と読む場合、金持ちは門前ではあるけれども、ラザロに施しを行っていたとも考えられます。単純に金持ちがラザロに酷い扱いを下から死んだ後に罰を受けた、と結び付けてはなりません