TNG The Next Generation

2019年7月7日 聖霊降臨後第4主日

福音書 ルカ9:18-26
第一の日課 ゼカリヤ12:7-10
第二の日課 ガラテヤ3:23-29

今週の聖句

わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ルカによる福音書9章23節

ねらい

24節で「命」、25節で「自分の身」と訳されているのは、ギリシャ語の「プシュケー」で、この他にも「魂」や「生命」という意味があります。この「プシュケー」よりも、イエス様は「わたしに従いなさい。」(23)と命じ、「わたしとわたしの言葉を恥じる」(26)ことがないようにと、繰り返し教えられています。つまり、この箇所のポイントは、イエス様が語られていることからも明らかなように、何よりも、神の子イエス・キリストを優先するように、また御言葉を大切にするようにということです。それでは、どのようにイエス様を優先するのでしょうか? また、いかにして御言葉に従って歩んで行くのでしょうか?

説教作成のヒント

私たち生まれながらの人間には、イエス様に従って行く力はありません。しかし、恵みにより、信仰によって、救われた人には、主なる聖霊が与えらます。聖霊の働き、神様の助けによって、イエス様が、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(23)と命じられた、御言葉を生きられるように、私たちは導かれているのです。ですから、私たちは、主に信頼して、信仰を持って歩んで行くことができるのです。

豆知識

「長老、祭司長、律法学者たち」(21)は、ユダヤ社会の民の指導者たちを指しています。

「メシア」(20)=救い主=キリスト。本来の意味は、「油を注がれた者」で、イスラエルでは「祭司」や「王」が就任する時に、実際に油を注がれました。新約聖書の時代になると、神様の決定的な救いをもたらす「救い主」を指すようになりました。

「三日目」(22)は、古代では当日から数えるので、現代ではまる2日目になります。

「人の子」(26)は、イエス様がご自身について語る時に用いられる称号です。新約聖書の中では、多くの場合、メシア(救い主=キリスト)を指しています。

説教

イエス様は、弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(23)と命じられました。十字架というのは、2000年前当時、ローマ市民以外の極悪人に執行される、ローマ式の最も残酷で侮辱的な、処刑方法でした。

十字架を背負うことは、処刑場まで、自分の十字架を運ぶことを意味していました。自分の十字架を運ぶことが、強制された理由は、ローマへの服従を示し、ローマ市民以外の人々への警告と見せしめのためであったといわれています。

つまり、イエス様は、ここで弟子たちに、また現代に生きる私たちにも、自分たちがイエス様に属していることを教え、覚悟をもってイエス様に従う生き方、完全な服従について、語っておられるといえます。なぜならば、キリストの弟子であることは、自分自身の願望を捨て、「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って」、たとえ死ぬようなことがあったとしても、キリストに従うことだからです。

ですから、この御言葉を聞いたイエス様の最初の弟子たちにとっては、文字通り、苦しみと死を意味していたと思います。そして、誰であろう、まったく罪のない神の子イエス様は、私たちの罪の赦しのため、苦しみを受け、十字架で死に、三日目に復活させられたのです。

このように主イエス様は、ご自身に従う弟子たちを友と呼び、十字架で「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)という、神様の罪人を愛する愛を示されたのです。

そうであればこそ、恵みにより、憐れみによって、神様から愛されて、神様に受け入れられ、主と共に歩みを起こした私たちの生きる「目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(2コリント5:15)——。

イエス様は再び、「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(14:27)と断言されました。「恵みにより、信仰によって、救われ」(エフェソ2:8)た、あなたは、日々喜んで、「自分の十字架を背負って」、イエス様について行くキリストの弟子とされています。それは、あなたの内に住まわれている、主なる聖霊の働きによるのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□30番 「まぶねのなかに」

□79番(改訂版) 「まぶねの中に」

やってみよう

☆ぬくもりを感じよう

二人で背中合わせになって、5分間ほど、相手の背中からぬくもりを感じてみましょう。黙って目を閉じると、相手の気持ちを味わいやすくなります。

☆十字架をつくろう

<用意するもの>

割りばし・輪ゴム・紙粘土・ビーズ、おはじきなど(翌週、絵の具・ラッカーなど)

はしをふたつに割り、片方を適当な長さに切って輪ゴムでとめて十字架を作ります。これを芯にして紙粘土で肉づけしてビーズなどで飾ります。色塗り、ラッカー仕上げは翌週がよいでしょう。

はなしてみよう

その①

・私たちは、自分の力だけを頼りにして、どんな危険や問題にも正面から立ち向かっているでしょうか。それとも、自分の欠点を認めて、他の人に助けを求めているでしょうか。

・イエス様が「自分を捨てなさい」と言われたときの「自分」は、いったいどのような「自分」なのでしょうか。

・二人で背中合わせになって、相手の背中から、どんな気持ちを感じましたか。

その②

・今日の聖書箇所では、ペトロが自分にとってのイエス様はどういう存在かということを話しています。あなたにとって、神様やイエス様はどういう存在ですか?

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