弟子たちとイエス様の姿勢、向いている方向性の違い。
それはすなわち私たちの姿。そこに問いかけてくるイエス様の御声、眼差しを受け止めて伝えたい。
メシア、救い主、神の子・・・さてそこに人は何をイメージするのか?
わたしは何を日々求めているのか。説教者は、その自問をしっかりしつつ、祈り、取り組んでいただきたい。
フィリポ・カイサリア地方は聖書の後ろの地図を見ていただければお分かりになると思うが、宣教活動を続けておられたガリラヤ湖周辺からだいぶ北に位置する場所である。この時は群衆から離れて弟子たちだけに語っておられる。いわば弟子教育の場と言えよう。
今、そのみ声を礼拝で聴く・・・主に従う者として選ばれた喜びを感じつつ、聞きたい。
本当のことを知らず、勝手に抱いているイメージというものがある。あちこちにある。私たち一人ひとりにもたくさんある。話の導入には良いと思う。
今回は、教会というところへのイメージで始めてみた。
フィリポ・カイサリアは豊かな水源の場所。水の音がする中で、イエス様はこの時叫ぶようにお語りになったかも。その、主の叫びは、今この時代にも響き渡っている。