礼拝を通して私たちの中に入ってくる命のみことば、これに生かされている喜びを味わいたい。
祈りがなくなっていく時、それは「神様の助けなど要らない」、「自分は自分でちゃんとやれる」といった思いがある時。
「わたしにつながっていなければ、あなたがたは何もできない」(ヨハネ福音書15章)とお語りになった主のみことばを思い起こし、こうして礼拝を守りながら、主(のみ言葉)によって生かされている私たちであることをへりくだって思い起こしたい。
3節で「念入りに」と訳されている単語の意味は、「握りこぶしで」。いかに彼らが、外から帰った時、ゴシゴシ洗っていたかがうかがえる。
市場から帰った時に念入りに洗うのは、例えば商品にしろ、お金にしろ、自分が手にするまでにどこの誰が触ったかわからない、(自分は清いけれど)他の人の罪や汚れがついてしまったらいかん!という思いだった。
そこに主は、本当の汚れはどこにあるのか?と問われたのである。