・聖書の御言葉を、耳を澄まして聴くことの大切さを知る。
・聴いた御言葉を、素直に受け取り、信じることの大切さを知る。
・聴き、素直に受け取った御言葉が、一人ひとりの生活の糧となれば幸いである。
・弟子たちの置かれることとなる状況を知る。
・日本での迫害は目に見えない形に移行している。中には、携帯電話での友人とのやり取りに苦痛を感じる子もいるだろう。それゆえ、神が共におられるとの福音、主イエスの御言葉は、痛みを背負う一人ひとりにとっての支えとなるに違いない。
・人が賢く、素直になること以上に、神の働きかけに注目して伝えたい。
・今回の聖句全体は、主イエスの十字架の死と復活、昇天、聖霊降臨の御業が全て果たされた後、弟子たちが受けることとなる迫害について語られている。「主イエスを信じる者」と「信じない者」の間には分裂が生じるからである。
・弟子たちの内には、迫害によって命を落とした者も居る。「主イエスを信じる」ということが「死」に直結する時代を生きる人々にとって、大きな慰めとなったに違いない。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(10:28)との御言葉より、マタイ福音書を読む者たちの置かれていた緊迫した状態を知らされる。
・「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(10:29,30)。迫害されようとも、神の他に死の先に用意された命を奪える者はいない。それゆえ、一人ひとりの髪の毛の数をも把握される、命の造り主である神を信頼するように、主イエスは招かれる。
イエスさまは、十字架にかけられて死なれ、三日目に復活されました。けれども、復活されたイエスさまは、お弟子さんたちと、その後もずっと一緒に居ることはできませんでした。なぜなら、復活されてから40日目に、イエスさまは父なる神さまのおられる所に帰らなければならなかったからです。
イエスさまとのお別れは、お弟子さんたちにとって心細く、寂しいことだったでしょう。しかも、イエスさまを十字架にかけた人たちに捕まってしまえば、お弟子さんたちも殺されてしまうかもしれません。だからこそ、イエスさまはお別れの前に、お弟子さんたちに言われたのです。
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10:16)。
蛇が獲物を捕まえる様子をテレビで見たことがあります。草の茂みに隠れ、獲物が近づいたとき、バネが跳ねるように身体を投げ出し、パクッと大きな口で飲み込むのです。じっと静かに待ちかまえて獲物を捕まえる蛇は、昔から賢い生き物だと言われてきました。
蛇と同じように、鳩もとても賢い鳥です。手紙を運び、相手のところまで届けることができるからです。飼い主の言うことを聴いて飛び去り、しっかり戻ってくる鳩は、素直な鳥だと言われてきたのです。
イエスさまは、息をひそめるのが上手な蛇のように賢くなり、素直な鳩のように、いつも神さまを信じるようにと言われました。苦しいことや辛いことがこれから起こるとしても、ずっと神さまが一緒に居ることを忘れないように、忘れずに生きていくようにと、イエスさまはお弟子さんたちを心配し、教えられるのです。
今、私たちが聖書の御言葉を聴くことができるのは、お弟子さんたちがイエスさまに励まされ、神さまを信じて旅をした証拠です。私たちの毎日の生活には、楽しいことばかりではなく、悲しいことや苦しいこともあります。けれども、神さまは、お弟子さんたちだけではなく、私たちともいつも一緒に居てくださいます。蛇のようにじっと耳をすませてイエスさまの御言葉を聴き、素直な鳩のように、神さまが今も一緒に居てくださることを信じたいのです。