TNG The Next Generation

2017年4月9日 枝の主日

福音書 マタイ21:1-11
第一の日課 ゼカリヤ9:9-10
第二の日課 フィリピ2:6-11

今週の聖句

「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように」
マタイによる福音書21章9節

説教作成のヒント

・ダビデの子……ダビデはイスラエル第二代の王。エッサイの末子で少年時代は牧童。後にペリシテの巨人ゴリアトを倒した話は有名です。神さまを深く信頼し、優れた王として記憶され、後世において理想的な君主として仰がれていました。イエスさまの時代、「ダビデの町」といわれていたのがベツレヘム。つまりベツレヘムで生れたイエスさまは「ダビデの子孫」であり、同時にダビデにまつわる素晴らしい部分を継承して来られた「王」として迎えられています。「主の名」とはその素晴らしい部分でもとりわけ、ダビデが神さまによって王として立てられたように、イエスさまも神様の御心の成就として来られたことを示します。ダビデの生涯についてはサムエル記上16-列王記上2章、歴代誌上11-29章を参照してください。

・「ホサナ」……「おお! 救いたまえ」の意。イエスさまを迎えるときの歓呼の叫びとして用いられています。ちなみに日課の少し後、21・15でもう一度、「ホサナ」は叫ばれています。こちらは神殿で子ども達が叫んでいます。イエス様を嫌った祭司長たちがこれを聞いて腹を立てた話も興味深いものがあります。イエスさまはこのとき、彼らに詩編を引用して答えておられます。イエスさまを迎える歓呼の叫びを止めることはできないものだと。

・ルターはこの箇所から「あなたの王があなたのもとに来られ、あなたの内ではじめられる……あなたがたがイエスを捜すのではなく、イエスがあなたがたを捜すのだ」と言ったといいます。救い主が私たちのもとへ。希望は自らが造りだすものではなく、到来するものであることを聖書は伝えています。その希望の到来を迎えるものになりたいと思います。

説教

あるところに事故にあって入院した男の子がいました。その男の子はひどいやけどを負って、「どうせ僕は助からないんだ」と思っていました。とてもつらい思いをしていたのだと思います。人に親切にされたり、慰められることにも素直になれませんでした。病院で治療を受けることも、リハビリをすることも大嫌いでした。だから一生懸命、治療しようとする病院の人たちも、おうちの人たちも困っていました。そうして毎日がただ過ぎて、ずいぶん学校にも行けないでいた頃、不思議なことが起こりました。

学校の先生が心配して、男の子の病室を訪ねていったのです。実は先生はご両親に頼まれて、その子のところに少しでも勉強を教えてほしいと頼まれていたのです。大好きだった学校のお勉強をしたら、男の子も気持ちが変わるかもしれないと思ったからでした。ところが病室に入って男の子と会ったとき、男の子がとてもつらくて痛々しい様子だったので、先生は何もできずに帰ってしまわれたそうです。先生はご両親との約束も果たせずに残念に思っていました。ところが数日後、おうちの人から連絡がありました。「先生、あの子に何をされたんですか」。先生が訪ねた翌日から、男の子の態度が一変したというのです。長いことしぶっていた治療やリハビリを進んでするようになります。そうしてけがも良くなって、いよいよ退院して学校に通えるようになったころ、その男の子はどうしてその日以来、がんばるようになったのか話してくれました。先生が自分のところを訪ねてくれるまで、希望がなかったそうです。先生が来てくれた、という単純な事実でこう思ったそうです。「もし僕が本当に助からないなら、先生は勉強を教えようなんて、思わないだろう」。

私たちは希望は、自分の心の中にあると思っています。時々それが見当たらなくて、元気が出なくなったり、悲しい思いをします。でも、このお話は、希望はプレゼントみたいに、思いがけず与えられるものであると教えてくれます。きっと先生は、自分は男の子に十分なことをしてあげられなかったことを残念に思ったにちがいません。でも男の子の方は、先生が来てくれたこと自体が希望になっていたのです。

今日の聖書のお話は、イエスさまがエルサレムに来られたことを大勢の人たちが「ホサナ」といって喜び叫んだというお話です。 「ダビデの子、ホサナ」というのは、この人たちが待ちに待った、それは大昔から神さまが人々に与えてくださった約束が「本当だったんだ」という喜びの叫びです。ホサナというのは、讃美歌の歌詞にもあるとおり、神さまを讃美するときの喜びの言葉です。イエスさまが、ただただ、私たちのうちに来てくださることがどんなに心強く、また希望があることなのかをこの人たちは伝えてくれています。もし私たちの心がとっても暗くなり、希望もなく、痛々しい思いになったとき、この聖書のお話はとっても大切なことを伝えてくれています。イエスさまの方が私たちに近づいて、希望となってくださるのです。そのときは、私たちも「ホサナ」といって、神さまの恵みを喜べるのではないでしょうか。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□70番 「ベタニヤむらから」

□改訂82番 「ダビデの子、ホサナ」

やってみよう

☆聖書振り返りクイズ

聖書片手に、みんなでクイズに挑戦しましょう。難しい問題は、一緒になって探しても良いですね。

(Lv.1)旅がいよいよ終わり、エルサレムに入ろうとするとき、イエス様はある動物に乗りました。どんな動物?(答え:ロバ)

(Lv.2)人々はイエス様を歓迎して、どんなことをしたでしょう。(答え:自分の服や木の枝を道に敷き、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだ)

(Lv.3)来週は、何の日でしょう。(答え:イースター)

(Lv.4)すばり、ダビデって、誰?(答え: 昔、ユダヤの国が一番上手く行っていた時代の王様)

(Lv.99)神に従い勝利を与えられた者がロバに乗ってやってくる、というのは旧約聖書でも預言されていました。さぁ、どこに書かれているでしょう。ヒントは、「第一の日課」です。礼拝で福音書しか読んでいないお友達は、大人の礼拝の週報をもらって「第一の日課」が何処か調べよう!(答え:ゼカリヤ9:9)

☆イエス様を迎えよう

イエスさまがろばに乗ってエルサレムに入城されました。大勢の人々は喜んで自分の服や木の枝を道に敷いて迎えました。このことを覚えて、服のかわりにハギレなどを敷いて道にしたり、手に持っ

て♪「ダビデのこ、ホサナ」(こどもさんびか32、改訂版82)を歌って自由に振り付けをして踊りましょう。

☆消灯礼拝(改訂版こどもさんびかガイド P28~31 参照)

四旬節(レント)の期間は日曜日を除く40日間のこと。この期間は世の光であるイエスさまが苦しみを受けられさらに死なれたことを静かに思い起こし、イエスさまの生涯や十字架の死の意味を考えたり、イエスさまに従うとはどういうことかを考えてすごします。その間の6回の礼拝は6本のろうそくを立てて、クリスマスの時とは逆に、ろうそくの灯を1本づつ消灯して礼拝します(受苦日や

聖金曜日に礼拝する場合は7本のろうそくを用意します)。

毎週できなければ、イースターの前日の土曜日にイースターエッグづくりとあわせて集まり、6週分することもできます。イエスさまが、十字架への道を歩まれたことを灯を消していくごとに心に刻まれ、イエスさまが私たちを愛しておられることを感じる礼拝となるでしょう。

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