イエス様からの「わたしは去っていくが何かが残る」という約束がされている。互いに愛しあうこと、それもイエス様がされたように神さまの愛を実現していくことだと覚える。
この章は受難の箇所であり、はじまりのヨハネの言葉は「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13:1)。人間を愛し続けたイエス様が世を去り、私たちに残されるのは「愛の掟」。
「互いに」愛しあうことは、愛は一方通行ではなく、人と人との間にある、深い心のつながりを表すものであるはずだからだということを示す。
「栄光」はヘブライ語で「カボード」、ギリシャ語で「ドクサ」。「カボード」の元の意味は「重さ」で、本来のニュアンスは「そのものの本当の価値」ということのようです。「ドクサ」のほうは「外に現れた輝き」を意味する。イエス様の栄光とは重さであり、輝きだと言える。人間の栄光とは違う。