イエス様が真ん中に立ってくださること、それが喜びと平安であることを覚える。
復活したイエス様の姿は、エマオの弟子の場合は「見知らぬ旅人」の姿だったが、ここでは弟子たちからは「亡霊」(ギリシア語では「プネウマ」)と見られている。一人一人に違う姿で現れられる方であり、プネウマは風や聖霊を現す言葉でもあり、弟子達は意図せず、正しい捉え方をしていたことが分かる。
イエス様が手と足を見せ、魚を食べてみせることまでしたのは、ご自分が生きていることを示されるため。
イクトゥスは、弧をなす二本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルでイエス様を現すシンボルとしても用いられる。ギリシャ語では魚だが、同時にギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主の頭文字を並べたものでもある。復活されたイエス様が弟子達の前で魚を食べたことはご自分が神の子であり、救い主、イエス・キリストを現すためであったとも考えられる。