ルカによる福音書24:36
イエス様が真ん中に立ってくださること、それが喜びと平安であることを覚える。
復活したイエス様の姿は、エマオの弟子の場合は「見知らぬ旅人」の姿だったが、ここでは弟子たちからは「亡霊」(ギリシア語では「プネウマ」)と見られている。一人一人に違う姿で現れられる方であり、プネウマは風や聖霊を現す言葉でもあり、弟子達は意図せず、正しい捉え方をしていたことが分かる。
イエス様が手と足を見せ、魚を食べてみせることまでしたのは、ご自分が生きていることを示されるため。
イクトゥスは、弧をなす二本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルでイエス様を現すシンボルとしても用いられる。ギリシャ語では魚だが、同時にギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主の頭文字を並べたものでもある。復活されたイエス様が弟子達の前で魚を食べたことはご自分が神の子であり、救い主、イエス・キリストを現すためであったとも考えられる。
ずっと昔、子どもたちの間で「おはこんばんちは」という挨拶が流行りました。これはおはよう+こんばんは+こんにちはという挨拶を全部まとめた挨拶でした。イスラエルの国では挨拶が朝も昼も夜も寝る前も「シャローム」という挨拶なんです。
まだ復活されたイエス様と出会っていなかった弟子たちは不安で一杯でした。家の中に閉じこもっていると、イエス様ご自身が現れ、彼らの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われるのです。この言葉は「シャローム」というヘブライ語です。日本語に訳すと色々と訳すことができる言葉なんです。「おはよう」、「平安があるように」そして何よりも「わたし、主が一緒にいる」という意味に受け取ることができる言葉なのです。「シャローム」は「神が共にいる」という意味です。イエス様のこの挨拶は「もうあなたは一人ではない」、心配しなくていい、一緒だという言葉なのです。イエス様の名前、インマヌエルという名前は「神は我々と共におられる」という意味ですから、イエス様は生まれた時から、復活の後まで、初めから終わりまで、そしてこれからも一緒にいるという約束をしてくださるのです。十字架の出来事からの三日間、寂しかっただろう、心細かっただろう。でも、もう心配しなくていい。あなたと一緒にいる。それがイエス様の「シャローム」という挨拶であり、今、まさに私たちにも語られているでしょう。
そして疑うのではなく、信じなさいとイエス様は言います。疑うことは「ぐずぐず考える」という意味です。良く考えることは大切なことですが、私たちに大事なのは親や先生を信頼して一緒に歩むように、イエス様を、その愛を信頼して歩んでいくことです。昨日も今日も明日もイエス様は「シャローム」と良いながら私たちの真ん中にいてくださいます。一緒に歩んでくださいます。自分の内にイエス様が生きてくださっていることを信じて、不安を覚える時でもイエス様と一緒に歩んでいきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□115B(A)番 「イースターのあさはやく」
□88番(改訂版) 「イースターのあさはやく」
<材料>
・長い紙・鉛筆、クレヨン、マジック・ハサミ
イエス様は「あなたがたに平和があるように」といわれています。皆さんも平和について考えて見ましょう。そして、平和を作り出す人々を作ってみましょう。
①長い紙を折ります。
②人の形を書きます。
③ハサミで切り取ります。
・イエス様が現れて、お弟子さん達はどんな気持ちだったでしょうか。
また、どんなことをイエス様に言ったと思いますか。