イエスさまがあらかじめ自分が死からよみがえることを弟子たちに伝えていたことを理解させる。
話の全体像としては、犠牲の捧げ物としての動物を売っていた神殿商人たちを蹴散らすイエスさまに人々は批判の目を向ける。自分の行為の正当性を示すしるしを人々はイエスさまに求めるが、イエスさまが示すしるしとは、やがて十字架にかけられて死に、三日後に復活をするという神のみ心を行うことによって顕わになる。それが「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」という意味である。
当時の祭儀や巡礼について子どもたちに理解させるのは難しい。現代にあって、初詣に行ったときの、お賽銭を投げるという行為と結びつけることもできるが、わざわざCSのお話しの中で神社での初詣に言及する必要はない。ここでは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」というみことばの意味を理解させることにポイントを集中させたい。
神殿で犠牲の捧げ物としての動物を売ることは、遠く遥々、神殿にお参りに来た巡礼者にとっては必要不可欠なものであった。牛や羊を家から何日間もかけてこのエルサレムの神殿に連れてくることは事実上不可能なので、巡礼地において買うのが人々の慣習となっていた。しかし、「宮清め」と呼ばれる、神殿でのイエスさまのこの大胆不敵な行動は、当時の宗教的祭儀的行事のための動物売買が「人々から暴利を貪る行為」として見なされ、それ対する徹底した非難の表れとして理解される。そしてそれは、ただ単に神殿商人への非難だけにとどまらず、当時の神殿体制そのものとそれを支配するユダヤ教の腐敗を露呈するものとなっている。