福音書 マタイ 5:1-12
第一の日課 イザヤ 26:1-13
第二の日課 黙示録 21:22-27
『山上の説教』は内容豊かなもので、幼児や低学年に向けての話しになると難しく成り易くなると思います。ここでは、神さまを頼ることの大切さ、神さまを信頼し続けることの大切さが大きなテーマとなっているように思われますので、その点を踏まえた上での大胆さも必要かも知れません。
『山上の説教』はとかく教訓話し、倫理観の話しに傾き易い傾向があると思われます。もちろん、そ れらも無視できないものですが、まずは、神さまが成してくださっていることに気付かせることが大切なように思われます。その上で、このマタイによる福音書の特徴の一つである「イエスの弟子」ということを、どのように子供たちに自然な形で促していけるか、が大切になってくるのではないでしょうか。また、これは全体的に言えることだとも思いますが、聞き手をどのように引きつけるか、ということは重要なことです。その一つが「共感」ということでしょうが、「驚き」も大切なことのように思われます。特に今回のようなテキストは逆説的ですので、本来は「驚き」をもって受け止められるべきものですが、私たちは慣れてしまって、その「驚き」を見落としているのかも知れません。
今日のところの「幸い」と訳されている言葉は、ギリシャ語の意味としては「なんて好運なのでしょう…」といったニュアンスの言葉のようですが(だから happy と訳す英語訳聖書もある)、しかし、もともとイエスさまが用いられたであろうヘブライ語的用法では、単なる「好運」ではなくて、神さ まとの正常な関係性から生まれる「幸い」(英語では blessed)といった意味合いのようです。(『現代聖書注解』マタイによる福音書 78-79 頁)
説教
みんなはイエスさまのお話し聞くの好き?
聖書を読むと、大人も子供も、男の人も女の人も、おじいちゃんもおばあちゃんも、ほんとうにほんとうに多くの人たちがイエスさまの話しを聞きたいって、イエスさまの周りにいつもいつも集まっていたんだって。今日の聖書のお話しは、そんな人々に、イエスさまが山の上でお話しになったよ、ってお話し…。
じゃ~、どんなお話しをなさったんだろう…。「悲しむ人々は、幸い」です。えっ…。「悲しむ人」って、辛いことがあったり、嫌なことがあったりして、「悲しいよ~」って泣きたくなるような人のことじゃない? そんな人が幸せな人だなんて、ちょっと酷くない?
もし、みんなが、大好きな友だちと喧嘩しちゃって「悲しい思い」をしているのに、先生が「◯◯さん、良かったわね。あなたは幸せよ」って言われたら、「この先生はなんてこと言うんだ」ってムカってこない? あるいは、学校(幼稚園)で辛いことがあって、お父さんやお母さんに「今日、学校でね、こんな辛いことがあって悲しんだ」って話しても、「そりゃ~、良かったな…。おまえ幸せだぞ」なんて言われたら、どうだろう? あるいは大好きだったペットが死んじゃったら…。やっぱり「悲しむ人が幸せ」なんておかしいよね。なんでイエスさまはこんなことをおっしゃったんだろう?
イエスさまはこうおっしゃりたかったんじゃないかな。「私を信じなさい。神さまを信じなさい。そうすれば、不思議なことが起こる。たとえ悲しいことが起こっても、幸せに変えられる」…と。そうなんだ…。たとえ悲しい事があっても、イエスさまが慰めてくださるから…、励ましてくださるから…、支えてくださるから…、何をすればいいかを教えてくださるから(例えば、友だちと喧嘩しちゃったときには、仲直りしなさい、ってね)…、イエスさまが僕たち私たちを大切に思ってくださっているから、悲しみが変わるんだ…。
えっ、本当かな~?、って…。そうだよね。信じられないよね。だって、悲しいときはやっぱり悲しいもん。でもね、先生もそうだった。辛くて、苦しくって、本当に悲しいとき、神さまに祈った…。イエスさまのことを考えた…。すると本当に不思議なんだけれど、悲しい心がすっと軽くなって、暖かくなって、「あ~、本当に神さま・イエスさまは私のことを守っていてくださるんだな~」って分かって、本当になんだか嬉しくなったんだ。
でもね、いつもいつもそうとは限らない。それでもやっぱり悲しくなっちゃうときだってある…。だからイエスさまはこうおっしゃるんだ。「喜びなさい。大いに喜びなさい」。つまり、「それでも、わたしを信じてほしい。いつも◯◯さんのことを見守っていることを…。◯◯さんの幸せを願っていることを…。
◯◯さんのことをいつも助けたいと思っていることを…。決して○○さんのことを忘れてはいない、ということを、信じてほしい」っておっしゃっておられるのじゃないかな。だから、みんなも先生と一緒に、悲しいことや辛いことがあっても、どんなことがあっても、喜びに変えてくださるイエスさまを信じていって欲しいと願っています。