・イエスをまことの王、救い主として自分の心に迎えるということを共に考えたい。
・エルサレム入城は人々にとっては喜びの出来事であったが、その喜びはすぐに憎しみと怒りに変わるのである。イエスは人々の罪の心に入城されたと言える。
・ゼカリヤ9:9に「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って」とあり、ろばに乗ってのエルサレム入城は平和を与える王としての預言の成就のである。
・人々が自分の服や木の枝(マルコ11:8)などを道に敷いたり、枝を持ったり(ヨハネ12:13)して、誰かを迎えるというのは人々が自分の王を迎えるときの態度であった。
・「石が叫びだす」とある。イエスが王であることに対する人々の理解は間違っていたが、イエスを王として迎えたこと自体は正しく、誰も人々の讃美を止めることはできないとイエスは言っておられるのであろう。