・イエス・キリスト、わたしたちの救い主がわたしたちの間に来てくださったこと、そして、光として、いのちとして来てくださったことを覚えたい。
・言が事柄を成し遂げる力があることを覚えたい。
・降誕祭がただのイエス様の誕生日をお祝いする時ではなく、今もわたしたちの間に、また特に困難な中、小さくされている方の中にお生まれになっている。闇が光を理解しないことがあっても、闇がどんなに深くても光が照らしてくださる。
・「言」(ことば)、「光」、「命」はイエス・キリストと置き換えて読むことができる。
・神と共にあるものがわたしたち人間と共にある恵みがここにある。
・「光」と「いのち」はヨハネが見た「メシア・イエス」のキーワード。聖書の他の箇所と比べても、はるかに多く「光といのち」が出てくる。ここで言う「光」の原語は「フォス」で、天からの一条の光とか、暗い心を照らす光という意味がある。
・「言」(ことば)はギリシャ語で「ロゴス」であり、神の言はダイナミックな力があり、生きており、事柄を実現させる。ヨハネはこの言葉を用いて、世界に先立って永遠から神と共にあり、創造のわざに参与された方として、イエス・キリストを指し示した。
・「いのち」には限りある命と滅びから救い出されたいのちとがある。イエス・キリストが来られたのは闇からの解放、わたしたちと神さまの間に和解をもたらせてくださるためであった。その面から見ても困難な中にある方のところに主は来てくださるのである。