・道端に追いやられていたバルティマイが、イエス様に見出され道の真ん中に立たせていただけた。イエス様は、バルティマイの信仰によると言われた。
・「道」と「道端」の違いを考えてみましょう。
・エリコの街は、世界最古の城壁都市だった。出エジプトの民がヨシュアに導かれてはじめて攻略した街。
・『ダビデの子』とは、イエス様をキリストと告白することと同じ。
「道にもどる」
本日のテーマは「道」についてです。この聖書の箇所にはいくつのもの道があります。イエス様の進まれる道、弟子たちの道、そして群衆の道です。ところがここにもう一つ重要な道があります。わかりますか?それは「道でない道」です。
本日の出来事は、この「道でない道」でおこっています。みなさんの聖書ではその道のことを「道端」と書いてあります。バルティマイさんという目の不自由な人は「道でない道」
・道端に座っていました。自分から座っていたというより、人々によってそこに座わるようにされていたのかもしれませんね。
その時、バルティマイさんは、イエス様がそこにいることを告げられます。バルティマイさんはそれを聞くと猛然と叫びだしました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」って。普通の叫びではなかったようです。猛然と何回も叫び続けたとありますよ。しかもそれは群衆にとってはなはだ迷惑な叫びだったようです。しかし、あくまでも「道でない道」でバルティマイさんは叫んでいました。
そのようなバルティマイさんに対して人々は黙らせようとしたのです。お前はここに来てはいけない。お前はこの道に出て来てはいけないというのです。ところがイエス様はバルティマイさんを呼びなさいと言われました。
人々は「道でない道」道端に座わらされているバルティマイさんを見ようとしない。たとえそこでどんなに苦しんでいようとも。道端にしかおれなかったバルティマイさんの苦しみに対して、目をつぶっていたのです。でもイエス様はみんなとは違います。みんなは目をつぶったのに、イエス様は見つけ出してくださったのです。
イエス様はバルティマイさんを呼ぶことでて、バルティマイさんを道端(道でない道)から本来の道に立たせてくださったのでした。バルティマイさんの喜びは異常なほどでした。服を脱ぎ捨てたとあります。古い自分、古い生き方へのさよならだったのでしょう。やっと人間本来の道に立つことができると思ったのでしょう。イエス様はそのようなバルティマイさんに「何をしてほしいのか」と聞かれました。もちろん「目がみえるようになりたい」でした。私たちにとってその答えはあたりまえのことでしょう。しかし、バルティマイさんにとっては「道」が与えられたのです。イエス様がバルティマイの信仰を認められました。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□57番 「しゅよわたしをあわれみ」
□改訂版27番 「キリエ・エレイソン」
距離を決めて、目をつぶって歩く。
そのあと目を開けて、同じ距離を戻ってくる。
□あなたが今、イエス様にお会いしたら何をお願いするでしょうか。
□みんなと、お互いの希望とその理由などを話し合いましょう。