・イエス様の言う「神の国」をつくる者となる。
・「偉い人」や「子ども」はいつの時代にも存在する。自分たちのまわりのそれらの人をイメージすることにより、聖書をより身近に感じてもらう。
・日課のテーマは「偉い人になるには?」ではなく「神の国とは?」であることに注意する。
・「いちばん先」とは「第一」という意味の名詞。「第一者」は政治的に最高の地位にある者を指して呼んだ。ローマ帝国の皇帝は「第一人者」と呼ばれ、これが初期の帝国の皇帝の公式な称号であった。
・「仕える者」とは当時の社会的身分をあらわす言葉で,奴隷や召使を指した。
みなさんの中に「えらい人」はいますか?なるほど…
では、「えらい」ってなんでしょうか?どんな人が偉い人ですか?「総理大臣」「会社の社長」「監督」etc…。なるほど、じゃぁ何故「総理大臣」や「会社の社長」や「監督」は偉いのでしょうか?なるほど、お金を持ってたり、強かったり、有名だから偉いのですね。そう、それともうひとつ、言うことを聞いてくれる人がたくさんいるからという理由もありますね、社長が「あれやっとけ」と部下に言ったら、部下はその仕事を一生懸命しますね。監督が「交代」と言ったら、自分はもっとやりたくても指示に従わなければなりませんね。
さぁ、では今度は「子ども」について考えてみましょう、子どもというとみなさんも「子ども」ですね。でも今日はみなさんより「子ども」の事を考えてみてください…弟や妹がいる人はその弟や妹を考えてみてください。いないお友達は町で見かける自分より小さいこどもやあかちゃんのことを考えてみてください。あれれ、みなさん、顔が怖くなりましたよ、弟や妹、あかちゃんは可愛いいですよね。見てるととっても嬉しくなります。でも考えるとみなさんの顔が怖くなるのはどうしてでしょう?そうですね、おもちゃを壊されたり、書うことを聞かなかったり、いつもお兄ちゃんやお姉ちゃんががまんしたりしているから、だから顔が怖くなったんじゃないでしょうか?
さて、今日の聖書には「偉い人」と「子ども」が出てきました。イエス様は「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」「わたしのためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」とおっしゃっています。「偉い人になろうと思うなら、みんなのお世話をしなさい、みんなの言うことを聞きなさい」「(イエス様のために)子どもを喜んで迎え、お世話をする人は、わたしを喜んで迎え、お世話をしていることと同じですよ」と、このようにおっしゃっているのです。
何だか、私たちが話し合った「偉い人」のイメージとはまったく違いますね。イエス様にとっての「偉い人」とは総理大臣や会社の社長や監督みたいな肩書きではなくて、その人がどんな生き方をしているか、その人がまわりの人にどのように接しているか、ということが大切だったんですね。また「子ども」についても、世話を見なければいけない、手間がかかるといって怖い顔をするのではなく、たとえ自分たちにとって厄介者となるような人でも喜んで受け入れ、心から愛し、すすんでお世話をするようになり、イエス様のようなやさしい「顔」で子どもを迎えなさい、とおっしゃっているんですね。
この「偉い人」や「子ども」についてのイエス様のお話は「神の国」のお話です。「神の国」は、人に命令したり、人を切り捨てたりするような国ではなく、互いに仕えあう、互いに互いを大切に思い、お世話をする、そんな国だとイエス様はおっしゃっているのです。さあ、みなさん、今のみなさんのまわりはどうですか?日本は?世界は?イエス様のいう「神の国」になっていますか?もし、なっていないなら、私たちからはじめて、神の国を広げていきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□48番 「こどもをまねく」
□改訂版5番 「こどもをまねく」
はじめはひとりずつスタートして歌いながら辺りを移動し、歌が終わったところで近くのひととじゃんけんをします。一般的には負けたら勝ったひとの後ろに付きますが、ここでは負けたひとが先頭になり、最後に一本の電車になるまでじゃんけんを繰り返します。
歌は「じゃんけん電車」、「貨物れっしゃ」などがあります。「線路はつづくよどこまでも」も良いでしょう。大人も入って、できるだけたくさんで遊ぶと楽しいと思います。一番先頭になるのは誰でしょう?
□「偉い人」と「仕える人」、みんなだったらどっちになりたい?その理田は?では何でイエス様はあんなことを言ったのだろう?
□みんなが「仕える人」で「神の国」の住人だったら、その国はどんな国だろう?国会はある?税金は?学校は?戦争は?差別は?貧密の格差は?考えてみよう。