・人が生きるうえで何が大切かを知る。
・イエス様は安息日を何のための日と捉えているか?
・ファリサイ派の人々は安息日を何のための日と捉えているか?
・安息日についての聖書的背景は、創世記2:2、申命記5:15。
・「供えのパン」…イスラエル12部族の分として12の和菓子が小麦粉でつくられ、安息日ごとに神に供えられた(レビ24:5-9)。
みなさんは疲れたときどうしますか?おなかがへったときどうしますか?
神さまはどうだったでしょうか?創世記の天地創造の物語を見てみましょう。神さまは一日目に「光あれ」と言って昼と夜を造りました。二日目、大空を造り水を上と下に分けました。三日目、海と陸を造り、草と木を造りました。四日目、太陽と月と星を作りました。五日目、鳥を造り魚を造りました。六日目、獣や家畜、地をはうもの、人を造りました。そして七日目、創世記2章1節以下には次のように書いてあります。「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」
神さまは一日目から6日目までずーっと働いて、そして休まれたのです。疲れたから、おなかがへったからか、その理由はわかりませんが、とにかく神さまは休まれました。そしてこれが神さまが聖別された特別な日「安息日」となって、ファリサイ派の人たちや律法学者、イスラエルの人たちもみんな、この日を大切に守ってきました。しかし、ファリサイ派の人たちや律法学者たちは、この日は神様が聖別され、祝福された日だから、大切にしなければならない、ということばかり考えて、この日には何をしてはいけない、これをしてはいけない、等など、ルールでがんじがらめにしてしまいました。彼らは、神さまが何故休まれたのかを考えずに、休まれたことにだけ注目して、安息日をルールでがんじがらめにしてしまったのです。
イエス様はきっとそんな彼らに「あなたがたは大切なことを見逃していますよ」と言いたかったのでしょう。そう、神さまは「安息」のために休まれたのです。安息とは「息が安らぐ」と書きます。息が安らぐとはどういうことでしょうか?みなさん、ちょっと息を安らいでみましょう。そうですね、深呼吸のようなものかもしれませんね、息をゆっくりすって、ゆっくりはいて、整えることかもしれませんね。
ではルールでがんじがらめなところで深呼吸はできますか?リラックスして休むことができるでしょうか?できませんね。そうなんです。イエス様は安息日は人が休むため、もっというなら人が第1日目から第6日目までをしっかりと生きることができるようになるための日であると言うことをファリサイ派や律法学者の人たちに伝えたかったのです。
さて、みなさんはどうですか?日曜日は、私たちが月曜日から土曜日までをしっかりと生きるために必要なイエス様の言葉をいただくための日です。教会に来て心と体をリラックスして、たくさんイエス様の言葉をいただきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□11番 「すずめやはとを」
□改訂版2番 「今日は光が」
・学校の校則、どんなものがある?書き出してみよう!そしてそれが本当に必要かどうか話し合おう!
・人が生きるために必要なルールって何だろう?みんなで考えよう!